12月12日(日)に開催されたホノルルマラソンにクリニックから7名が参加しました。フルマラソンに4名、10キロウオークに2名、応援に1名が参加しました。今回フルマラソンに初挑戦が1名、患者さんの奥さんがウオークに1名参加されました。全国からTeam Diabetes Japan(TDJ)としてフルに35名、10キロに14名、応援に1名、合計50名が参加しました。
12月11日(土);日本
午前中診療をして、午後1時45分にクリニックに集合して、車で新岩国駅まで行き、広島、新大阪で、こだま、のぞみ、はるかと乗り継いで関空に午後6時過ぎに到着しました。関空が午後9時25分発のJAL。ホノルルに着くぐらいの時間をかけて、国内の移動となりました。エコノミーの座席で熟睡は難しく、ウトウトと仮眠する程度でした。
12月11日(土);ホノルル
現地時間で午前9時半にホノルルに到着し、入国手続きをし、レンタカーをかりて、ホノルル市内に向かいました。コンベンションセンターでゼッケンをもらい、併設されたショッピングブースを見て回りました。今回からナイキがマラソンのスポンサーをやめてしまい、一番大きな面積を占めていたショップがなくなってしまったのは残念でもあり、経営危機のJALが撤退しないことを望みます。午後1時半からTDJの懇親会がプリンスホテルであり50名が参加し、バイキング形式の昼食、地区毎にまとまって自己紹介、集合写真を撮ったりして午後3時半までありました。その後はホテルにもどり、明日の朝食を受け取り、荷物を預け、明日の準備をして就寝しました。
12月12日(日)
午前2時に起床し、朝食をとり、午前3時45分にTDJのメンバーがホテルのロビーに集合し、あいさつしたり写真を撮って、出発地点に向かいました。スタート地点ではカナダの糖尿病チームといっしょに写真を撮ったりして交流しました。9日(木)、10日(金)は雨が降ったようですが、天候は曇り気味で、寒くも暑くもなく風も強くない天候、走るには好都合の条件でした。今回はハーフを2時間切れて、うまく後半ペースが落ちずに4時間が切れればというのをタイムの目標としました。そのためキロ5分40秒、1マイル(1.6キロ)を9分のペースを目安にしました。距離表示は1マイル毎とキロは最初の1キロ,2キロ、あとは5キロ毎の表示があり、ペースがどの程度かを見ながら走ることにしました。午前5時花火を合図にスタート、なるべく空いたスペースを見ながら走り出しました。やはりそれでも横並びに歩いている人がおり、最初から歩くなら後ろから出るか、歩道をと思いながら、最初の1キロが5分48秒、1マイルが9分19秒とまずまずのスタート。去年は暑く汗をかいていたのからすれば、暑さも感じずに走ることができ、順調なスタートでした。ダイヤモンドヘッドの上り坂までの最初の11キロはフラットなコースで、ゴール地点のカピオラニ公園が10キロ地点で55分と順調。ダイヤモンドヘッドの上りの1マイルが9分17秒で下りの1マイルが8分49秒で、マイル平均9分で最初の坂を越え順調でした。15キロを過ぎたあたりからお腹がしくしくしてきて、様子を見ながら走りましたが、我慢できなくはないですがこのまま不快な感じのまま走るのも集中できないので、高速道路に入る手前17キロ地点にトイレがあり、そこを利用しました。お腹の調子は良くなりましたが、これまで節約した時間を使い果たしてしまいました。高速道路のコースに入って18キロを過ぎると今度は左のふくらはぎの痛みが出て来て、一難去ってまた一難となかなかすべて順調にはいかないところが人生そのもので、けいれんが起こらないように給水所で水やスポンジで冷やしながらの走りでとにかくペースを維持できるようにすすめていきました。池田病院の井田先生が14マイル地点で追いついてきて、「フルマラソン4週連続で、先週痛めた左足の付け根の痛みが良くならない」ことなどの話しをして、写真をお互いに撮って先に行かれました。ハワイカイを回ると今度は帰りの高速道路で、TDJのメンバーとすれ違うことができ、30キロがすぎて疲れも出て単調なコースでしんどくなる時期ですが、お互いに声をかけながらお互いに元気をもらえるので、道路の中央よりを走り、南先生を始め気がついた人にはお互いに声をかけたり手を振ったりしていきました。やはり30キロを過ぎると徐々に足の疲れも加わり、ペースが落ちてきて、予定のペースを徐々に越えていきました。当院からのメンバーともすれ違い、ハーフ手前で3時間を過ぎており、予定が7時間から9時間程度かと思いながら、声をかけていきました。
高速道路の出口が35キロ、ここからは高級住宅街のあるカハラ地区、23マイル(37キロ)から2.5キロ続く、最後の上りがあり、ペースも落ちて来て、リリーの泉さんが応援の先発で上り坂まで来てくれていました。なんとか上り坂を上りきって40キロ地点、下りが始まり、残り1キロは平坦なコースで最後のエイドステーションで水を飲んで、ひと頑張り、直線コースで、ウオークに参加したTDJのメンバーがゴール手前で応援してくれて、なんとかゴールすることができました。クリニックからのメンバーも初フルマラソン挑戦の伊藤さんを含め、全員完走することができました。夕方はワイキキにあるホテルのレストランで夕日の沈むのを見ながらクリニックのメンバーで打ち上げをしました。その晩は機中泊、マラソン前日の仮眠の睡眠不足とマラソンの疲れでみんな爆睡でした。
いつもは補食にジェルを2、3個ウエストポーチに入れて走りますが、ジェルに飽きてきたので、今回は内容を変えてどれが食べやすいか試してみることにしました。写真にあるように薄皮パン(クリームとピーナッツバター)2個、ミカン三分の一を3個、カステラ、ヨウカン、バナナ半分を2個、パワージェル1個をビニール袋やサランラップに入れて、ウエストポーチに入れて走りました。量が多くなり、走るときにウエストポーチが横ずれしてくるので、最初は走りながらそれを元に戻したりしていましたが、あきらめてそのままにしました。重さのバランスを取ることや入れすぎたことを後悔しました。結局、パン1個、ミカン3個、バナナ1個、パワージェル1個を食べました。やはり走り出すと口の中が乾いてきて、あまり粘っこい物は欲しくなくなり、カステラとヨウカンは食べられませんでした。みかんの汁は柑橘系でさわやかな気分にさせてくれます。ただし皮を飲み込もうとするとのどに引っかかってむせるので、皮は出すようにした方がいいようです。バナナもあまり水分がなく、口の中でねばっこさがありますが、マラソン大会の定番の補食なのでこんな物かといったところでした。30キロをすぎたらパワージェルをエネルギー補給のために流し込むように取りました。やはり暑いときの補食はスイカが水分もあり、あっさりして、適度な糖分もあり、一番ではないかと思います。大きさと重さに問題があり、宇宙食のように乾燥させてできればいいのではと思いました。LSDくらいでゆっくりのときは味わいながら食べられますが、やはり走りながらの晩餐会とはいかないようで、味、カロリー、とりやすさを考えて選択することが今後の課題でした。
12月13日(月)
朝は車でゴール地点のカピオラニ公園に完走証をもらいに行き、その後はハナウマ湾、日立の宣伝「この木何の木」のあるモアナルア公園、ドールプランテーション、ノースショアと島を半周して見て回りました。ドールプランテーションではトロッコ列車でパイナップル畑を一周して見て回りました。
12月14(火)
ワイキキに行き、お土産を買ったり、泳いだり、ヨットのクルージングに乗ったりして、一日を過ごし、夜は回転寿しに食べにいき、こちらの人にあわせたような味付けや変わった組み合わせの寿司やまぐろ丼、フライなどが回っていました。日本語のテレビ放送や柳井に連絡をすると日本は雪が降ったり寒いとのこと、こちらは半袖短パンでの生活で楽園のような快適さで、帰るのが憂鬱になるような気持ちになりました。
12月15日(水)
午後1時発の飛行機なので、朝は割とゆっくりと過ごしながら、帰国へ向けて準備をし、レンタカーを返し、空港内の店を見たりしながら出発を待ちました。定刻通り飛行機は飛び立ち、アラモアナ、ワイキキ、ダイヤモンドヘッドを窓から眼下に見ながら、楽しかった南の島での滞在も終わり、日付変更線を越えて、日本時間12月16日(木)午後6時15分に関空に到着。電車を乗り継いで、新岩国までもどり。クリニックには午後11時過ぎに到着。
運動の一年の最大イベントは大晦日の紅白歌合戦のように終わり、夢の島から現実の世界に戻ってきました。
参加者の記録と一言感想(マラソンと旅行)
応援
山根;応援だったが、ウオークで一緒に歩けました。きれいなワイキキビーチで泳げて楽しかった。
10キロウオーク
平田;早朝で楽しく歩けました。今度はフルに出たいと思う。同じアホなら走らにゃそんそん。ハワイはミーハー的なイメージしかなかったが、やっぱり来てみるものだと思った。
大久保;4回目の参加で新しいメンバーが増えて楽しかった。日本では行くことがないようなティファニーなどに行けて良かった。来年も参加したい。
フル
伊藤;8時間24分41秒;思ったより早く足の痛みが出てどうなるかと思ったが、なんとか完走が出来て良かった。達成感でいっぱいです。いろいろハワイを楽しむことが出来た。
木村;4時間31分38秒;楽しく快適に走ることが出来た。回転寿しはおもしろかった。
大久保;7時間12分49秒;今年もヘロヘロになりながらなんとかゴールすることが出来て良かった。42.195キロは長かったが、楽しかった。オバさんパワーがいっぱいで楽しかった。
大久保;4時間5分50秒;今回10回目のホノルルマラソンも完走でき、10年間 楽しませてもらったことに感謝。