平成26年3月より月2回程度昼の「まかない」を始めました。NHKの「サラメシ」という番組を真似て、「クリメシ」と名付けました。
平成30年7月19日(木)のまかないは「カレー」で、10名が参加しました。3分間スピーチは大久保院長。
作り方は一般的で、ルウの裏側に記載してあるとおりに作りました。時間に少し余裕が持てそうだったので、にんじんとじゃがいもは面取りをしました。
副菜は、「なすのおかか和え」で、なすの皮をピーラーでむき、蒸し器で蒸した後にポン酢とかつお節で和えます。
「サラダ」は、水菜ときゅうり、赤と黄色のミニトマトを1つずつ添え、ドレッシングは趣向を変えて「ひじきドレッシング」にしました。ハーフマヨネーズにしょうゆを足し、そこに水でもどしたひじきをとすった黒ごまを加えて混ぜます。ひじきが入るので、普通のドレッシングよりは鉄分が取れるようになっています。
今回は守冨栄養士の誕生日のお祝いのケーキがデザートになりました。「シュシュ」の桃を薄くスライスして、バラの花のように盛り付けられた期間限定の桃のケーキをみんなでいただきました。Happy Birthday, Moritomi!
まかないアンケート(10名)
1.ひじきドレッシングはいかがでしたか
少ししょうゆからかった。アイデアはまねしてみようと思う
美味しかった。ひじき臭くなくてよかった。
2.現在、腹何分ですか;腹8分:2名 腹9分:2名 満腹:6名
3.盛り付け、彩りはいかがでしたか;全員良い
4.今日のまかない、星いくつですか;星2つ半:1名 星3つ:9名
5.感想
玉ねぎは良くいためたほうが好き。
カレーの辛味とサラダのなすの味付けのバランスが良かった。
夏バテにはカレーがいいですね。我が家もゴールデンカレーの中辛使ってます。
カレーは辛めでしたが、美味しかったです。
3分間スピーチ(要旨)
「ジョン・ウエインはなぜ死んだか」(文藝春秋、1982年-昭和57年、広瀬隆 著)大久保院長
ジョン・ウエインが肺ガンになった事や亡くなったと言う報道を何となく覚えていますが、たぶん西部劇のイメージから紙巻きたばこを吸って、そのために肺がんになったのだろうと思っていました。
知人がこの本の話をしていて、興味があり、36年前の古い本なので、アマゾンで中古を買って、読んでみました。
著者の広瀬隆氏は医学関係の翻訳家で、ジョン・ウエインの死亡記事を読んで、ガンで死ぬ映画スターが多い事に気がつきました。映画関連の書籍を読みあさり「大スターはみんなガンで死ぬ」と仮説を立て、調査をしていったことがこの本の主題となっています。
昔の映画ファンなら誰でも知っている、ジョン・ウエイン、1950年代の「西部劇」のヒーローです。「西部劇」と言えば、荒野、サボテン、インデアン、カーボーイ、幌馬車、牛、モニュメントバレーの台地のような山、ならず者、保安官とおきまりの登場人物で、多くのスターが生まれています。その多くはアメリカ西部、ユタ州、ネバダ州、アリゾナ州でロケがおこわれ、ロサンゼルスのハリウッドのスタジオで、スタッフを含めて大人数で撮影が行われます。
(1)
1956年に公開された「征服者」はジンギス・カンの物語で主役がジョン・ウエイン、ユタ州のスノーキャニオンで撮影されました。その年は粒ぞろいの作品が多く、アカデミー賞には外れました。作品賞「80日間世界一周」、監督賞「ジャイアンツ」(エリザベステーラー、ジェームスディーン)、主演男優賞は「王様と私」のユルブリナー、主演女優賞は「追想」のイングリッドバーグマン。
ジョン・ウエインは1964年に肺癌、1979年1月に胃癌が見つかり、6月に亡くなりました。その他監督や共演者、スタッフも次々と癌患者が発生しています。ハリウッドからロケのために来た220名やエキストラとして参加した300名のインデアンにも癌が発生していて、「征服者」集団には何か特異な因子があるのではと関係者は恐怖におびえていました。
さらにアメリカ西部で当時多くの西部劇が撮影されており、1950年当時に出演した俳優も多く、癌で命をおとしています。ゲーリー・クーパー、ヘンリー・フォンダ、スティーブ・マックイン、ジョン・フォード、ウオールト・ディズニー、イングリッド・バーグマンなど有名な俳優や監督が1960〜1970年代に癌で亡くなっています。
(2)
ロケ地から15キロ離れた所にセント・ジョージという町があり、そこに葬儀屋を営むエルマー・ビケットが、住民の癌による死亡が増加している事に気がつきました。さらに自分の家族や親戚も癌で亡くなりました。
「髪が抜けた。家畜が死んだ。子供の白血病や甲状腺疾患が増えた。目のない赤ちゃんが生まれた。生まれた子羊の脚が異様に短かった。」などの現象が起こっていました。
ソルトレイク・シティーのユタ大学のジョゼフ・ライオン博士が調査を開始しました。32年間を3つの期間にわけ、A(1944〜1950、7年間)、B(1951〜58、8年間)、C(1959〜75年、17年間)で調べると小児がんの発生がBの期間が他よりも3倍多かった。小児は大人に比較して癌が急速に成長するためでした。
(3)
1977年4月、この地域の癌の発生の謎を解いたのは米国陸軍の軍曹であったポール・クーパー。彼自身、白血病におかされていて、退役軍人に多くの白血病が発生しているのに気がつきました。それは軍人が加害者であり、被害者となったからでした。その原因はネバダの核実験にありました。
1949年にソビエトが原爆実験に成功し、1950年朝鮮戦争が勃発。米国は原爆世界大戦にそなえて、原子力兵士(アトミック・ソルジャー)を組織し、ネバダの核実験場にかり集められました。そこでは砂漠に塹壕をほり、原爆が落とされ、閃光、きのこ雲が立ち上り、爆風と爆音のなか、突撃命令を受けて、爆心地に向かって疾走し、生き残ったソビエト兵を殲滅(せんめつ)する訓練を受けました。白血病の発生が3倍以上多く、その子供達にも影響をおよぼしました。
ネバダ実験場で大気中の核実験は1951〜58年に98回行われました。広島の原爆が13キロトン、長崎が23キロトンに対し、8年間の平均は10キロトン程度で広島よりも小さい(0.1〜61キロトン)サイズでした。セントジョージの町から220キロ地点。
これらの3つの集団の人達に怒りが込み上げ、このような実験の影響は分かっていたのではないかという疑問が持ち上がり、国に対して訴訟をおこしましたが、国はその事はデマであると否定し、安全である事を宣伝し、時には秘密の情報を持っている人が不可解な死をとげたりと、妨害をしてきました。
「政府はヒロシマのデータを持っていた。すべてを知っていた。ヒロシマの原爆を投下する前、ニューメキシコで最初のテストが行われた時に、馬などの現れた影響を、政府は見ていた。」と言われています。
さらに、東部3州の、ニューヨーク州のナイアガラ、ペンシルバニア州のキャノンスバーグ、ニュージャージー州のミドルセックスでも癌患者が増加している。共通しているのは放射性廃棄物の捨て場であった。ヒロシマでの原爆、核兵器の競争、原子力発電、放射性廃棄物の産生へと繋がっています。
「死の灰」
大気中の核実験は、発ガン性を持った死の灰を降らせました。さらに地形と風向きが関わっています。軍部、政府は人口が密集している地域に死の灰が降らないように配慮して、ハリウッドを含むロサンジェルス、ラスベガスなどの大都市を避けるために、カルフォルニア州に向かって風が吹いている時には実験を行いませんでした。北東に風が吹く時に実験を行い、ユタ州、ネバダ州、アリゾナ州に死の灰が集中したのです。セントジョージは危険地帯に入っています。ユタ州は全世界に小麦、トウモロコシ、大麦などが輸出されている有数の産地である。地形としてはロッキー山脈、シエラ・ネバダ山脈などに囲まれた盆地の下方に核実験場があっため、死の灰が降り注ぎ、雪にまぎれて降り注ぎ、雪解け水になり、人や家畜の飲み水となります。
「征服者」のロケ隊は60トンの土砂をハリウッドのスタジオに持ち帰り、撮影し、終われば土砂はハリウッド一帯にばらまかれた。死の灰には発がん性の他に、長期性、濃縮性のあることである。
半減期はストロンチウム90(28年)、ウラン233(16万2000年)、プルトニウム239(2万4000年)、セシウム137(30年)と長く、その間に体内で濃縮されていきます。
「核実験のためにジョン・ウエインが死んだ。」、そして「多くの映画スターや関係者もそのためにがんで亡くなった。」と結論づけられた。
<3州と日本の縮尺地図>
最後に日本と3州二つの地図を同じ縮尺で重ね合わせ、黒■が原発の位置、黒▲が原発予定地、黒★印が放射性廃棄物の埋め立て予定地。
“我々はすでに、知ってしまったのである。「ジョン・ウエインはなぜ死んだか」を”と結ばれたのでした。
この本を読んでの感想。
前回の武永さんの3分間スピーチで「伊陸で捕虜になった米兵が広島へ移送された際に原爆の被害にあった」ことが取り上げられました。
「上関原発」
今回の本の原発予定地の★印は山口県の下関辺りに付いています。
中国電力は,島根原発の建設着工(1970年 2 月)に前後して,日本海沿岸の何カ所かで 原発候補地として、山口県内では 60 年代末から 80 年代にかけて、田万川町(現在は萩市に合併)、萩市三見(さんみ)、豊北町(現在は下関市に合併) で立地に向けての動きがあった。しかし各々議会で反対され、日本海側での計画が頓挫した。
そこで中国電力は瀬戸内の上関町で建設計画を進め、1982 年 6 月から計画が表面化し、36年が経過。ちょうどこの本が発刊された年と同じです。その後の原発推進派と反対派、福島第一原発事故とつながっています。
「広島、長崎の原爆記念日(8月6日、9日)」
昨年オバマ大統領が、アメリカの大統領として初めて広島の原爆記念日に出席しました。
原爆と言えば第2次世界大戦、さらにアメリカとの戦争を考えると、パールハーバーへの奇襲による戦争の開始と原爆による戦争の終焉。各々の立場としては「日本の卑怯さ」と「アメリカの非人道さ」が対立のポイントになっています。
一般市民感情として、「戦争の手段としてどちらが悪いというのではなく、原爆は悲惨で影響が長く続くので、そのことを人道的立場から、アメリカの首脳が広島に来て、原爆資料館も見て、実態を知って欲しい。」ではないでしょうか。
しかし、アメリカだけでなく、ソ連、中国でも同様な実験はされ、軍事機密ということで詳細は明らかにされず、日本以上に被爆者は多いのではともいわれています。「なかなか簡単には進みそうにない現実がそこにはある。」と感じました。
ご飯 精白米
カレー にんじん、じゃがいも、玉ねぎ、カレールウ、牛もも
なすのおかか和え なす、かつお節、ポン酢
サラダ 水菜、きゅうり、ミニトマト、芽ひじき、黒ごま、マヨネーズ、しょうゆ