ウェルネスクリニック

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内科・生活習慣病(糖尿病・高脂血症・高血圧)・甲状腺を診療する柳井市の病院です。

トウニョ
〒742-0021 山口県柳井市柳井1547-1
2019.04.15

ユネスコメディカルスタディーツアー in カンボジア

オペ室風景5.jpgC地図1.jpg平成31年31月19日から27日まで当院の武永看護師が岩国ユネスコ協会が主催するカンボジアでのメディカルスタディーツアーで高校生を引率をして参加した報告をしてもらいました。

 ユネスコメディカルスタディーツアーin カンボジア


武永佳子

 

20190319日〜20190327日の期間で、岩国ユネスコ協会が主催するカンボジアでのメディカルスタディーツアーの引率をしてまいりました。

 

参加者は、高校生6(女子5名、男子1)と引率者:大人5名の11名で決行されました。

ツアーの大黒柱である、3日間の医療見学について報告させていただきます。

メディカルツアーの現場は、東南アジアの国の1つである、カンボジア王国(通称 カンボジア)の首都プノンペンにある「プレアンドン病院」です。

隣国には、ベトナム、ラオス、タイ。

C地図2.jpgC地図3.jpg

首都プノンペンは、東南アジア最長のメコン川とトンレサップ川の合流地にあります。

「プレ アン ドン病院」は、地図にあるように、まさに合流地点にあります。

 

カンボジアの人口は、1,576万人(2016年、出所:カンボジア計画省統計局)

首都プノンペンは、183.5万人(2015年、出所:同上)

国土面積は、181,035平方キロメートル(日本の約2分の1弱)になります。

 

日本における、プノンペンと同等の人口都市は、福岡市(150万人)や北海道市(190万人)。ちなみにプノンペンは、北九州市(96万人)と姉妹都市になります。

 福岡市を想像していただいたらおわかりのように、柳井市と比較して明らかにプノンペンは都会です。プノンペンは、加えて開発、発展途上国であり日本より活気溢れる街でした。


プノンペン.jpgオペ10年前.jpg

さて、今回のこのツアー企画でなぜ私が参加しているのか?と言う事を申しますと、

10年前にNPO法人JAPAN HEARTという医療奉仕団体の医療現場であるミャンマーで

医療活動を共にした医師との出会いがこの企画へと繋がります。

 

その医師は、慈恵医科大学附属病院 耳鼻咽頭頸部外科 大村和弘医師です。

日本では現在、頭蓋底手術を日本1の手術件数をこなしています。現在、世界1の手術件数を目指していると聞いております。

 

10年前にお仕事をご一緒した時の印象は、丁寧な手術をされる方であり、当時20代後半と外科医としては若手なのですが、安心感のある手術をされる方。また、リーダー性があり、指導が上手な先生だった記憶です。私は、医療従事者になって5年目の年でした、発展途上国の医療現場の厳しさを感じつつ、自分の色々な物足りなさと葛藤している時期でした。大村医師との出会いと、先生からいただいた一通のお手紙によって、私は医療を続ける大きなきっかけを与えられました。どんなメッセージかは、私の中で留めて置きたいのですが、「どこにいても、何をしていても応援しています」というメッセージで締められています。当時の私にとって、どこで何をしていてもというメッセージは、私の心の支えとなりました。なぜかというと、私()を応援してくれていると感じたからです。

 

 そのような当時の心の支えと、心に響くメッセージを持ち続け、今日の私の人生が作られています。ミャンマーのミッションが終了した後は、それぞれに道を歩みます。時は流れて、、、4年前に東京での仕事と、ある大学のプログラムへの参加のための相談をきっかけに、お互いの近況、状況報告が再開します。

 

大村医師は、国内はもとより、アジア諸国を中心として益々のご活躍であり、そのお話を聴きながら、私がこの医師の活躍を知っているだけにとどめることは、罪になりそうなくらいもったいないと思いました。先生から頂いた当時のメッセージで、私の人生に大きく影響をもたらしていることや、大村先生のような方に、もっと早く、例えば・・・学生時代に出会っていたら私はどんな人物になっていただろう?と想像した時、とてもワクワクするのでした。

 

なぜか?ワクワクするのか?

私は、自分の半生を振り返り、「この人に学びたい!」と思う尊敬できる先生に出会えるようになったのは、看護師として働き始めてからでした。

大久保院長先生も私にとって、尊敬している先生です。このクリニックに勤めていなかったら、このような機会に出会う事、学生のツアーへ引率をする事もなかったと思っております。

 

そのため私は、学生には好きな先生(尊敬できる、目標になる)に早く出会って欲しく。そして、より実りのある人生の糧になればという思い入れが、強くありました。

私は、才に長けてることもない、芸もない。そんな私が影響を受ける先生ならば、未知の可能性を秘めた学生に、この医師の生き様を見せた時、どうなるのか?と思うと期待感でいっぱいになりました。だから、大村医師と多くの学生が出会ってほしいと強く願い、行動をおこしました。

 

その結果、村医師という人物、活動を理解してくださる学校の先生ができ、山口県へお招きできる機会を与えてくださる学校、学生向けの大村医師の講演会開催。それによって、学生の目の輝きが増し、学校やその関係者とのご縁が繋がり、色々な方のアイデアや協力が合わさって、この度のツアーの企画が実施へと繋がっていきます。

 

 

大村先生は、

アジア諸国への医療技術支援活動を10年近く行ってきております。全て自活。費用全て自分で賄い、医療技術支援を現地で行なってきています。志高く、慈愛と活力溢れる方です。その活動が個人にとどまらず、慈恵医大のプログラムとして活動は変化を遂げ、カンボジアと日本をつなげる重要な位置へとなっています。

 

病院入口.jpg病院敷地内.jpg

カンボジアでの医療教育支援先は、初頭でも述べた「プレアンドン病院(Preah Ang Duong Hospital)」の耳鼻咽喉科になります。

Preah Ang Duongの名前は、 アン・ドゥオン王のお名前で1840年ー1860年 隣国の脅威から国を守った名君として知られています。

 

でもなぜ?カンボジアの医療支援をなぜするのでしょうか?

その理由は、医師がいないからです。

なぜ?医師がいないのでしょうか?

それについては、

カンボジアの歴史を紐解かなければならなりません。

それは、1950年代ポルポト政権時代に有識者が抹殺された歴史があるからです。カンボジアには看護師もほとんどいません。

 

オペ入口.jpg

数字で示すと2012年経済産業省の調べによるとカンボジア医療は

医師2,400人、1万あたり医師2

看護師11,454人 、1万人あたり看護師7,9

 

2016年厚生労働省の調べによると

日本医療は

医師319,480

看護師1,149,397

 

山口県内の看護師数は16,207

日本では、入院施設のある病院単位で、患者7人に対して看護師1人と言われています。

数字が示すように、医療者が日本の1/10も存在しません。

 

1950年代、有識者の抹殺で医療経験を持った医療者も少なく、医療教育者が絶対的に不足しています。加えて、カンボジア人はカンボジア医療に対する信頼をおいていない人が多いという実情があり、毎年25万人もの人が、隣国(ベトナム、タイ、シンガポール)へ医療を受けに流出しているといわれています。

 

そのため、国内での医療システムの循環が滞っている状況となります。

このように、カンボジア医療には現在の日本医療とは大きな違いがあります。

 

今回のスタディーツアーの趣旨、概要は以下です。

 

趣旨「ボランティアで医療活動を行う日本人医師、大村和弘先生の協力を得て実施する本企画は、カンボジアの医療現場における視察活動を通じて、現代の国際
社会が抱える問題に直接触れる機会を提供するものです。このツアーの経験を
基に、将来、志を抱いて社会に貢献できる人物が育ってほしいと願っています。」

 

概要「大村和弘医師率いる医療支援・教育活動団体のリアルな活動現場の見学と体験を中心に据え、国際協力の現状や世界遺産、世界寺子屋さらにはかつての内戦の跡を視察します。そして現地に暮らす人々との交流を通じて、平和の意味や自己を見つめ直し、志を育む機会を提供します。」

 

趣旨に関しては、すぐに成果は結果はみえませんが、概要の「自己を見つめ直して、志しを育む機会」という部分は達成できたと実感しています。また、学生主体でありながらも、私もとても多くの事を学ばせていただいた現場でした。

 

寝ている私.jpg

まず、私ごとですが未成年学生の団体と一緒に海外旅行をする。という事は、人生で初めての経験です。

 私は、1人旅行が多いのですが、クリニックでホノルルマラソン遠征を小集団で行う事を何度も経験させていただいておりましたので、団体で海外へ出ることへの抵抗感はありませんでした。クリニックでの経験が役に立っていたように感じます。また、私は、毎度ハワイへ行くと翌朝寝坊をしてしまうことがルーチーンとなっております。ウェルネスチームの皆様ご承知済み。いつも、時差ボケに勝てません。しかし!日本とカンボジアの時差はー2時間でしたので一度も寝坊をする事はありませんでした。

 

全日程を通して考える事やる事、その他のお仕事連絡なども重なって、就寝時間は毎日2時、3時、4….?よく覚えていません。元同僚看護師と相部屋でしたので、合間の小休憩のとき盗撮されました。

題名:眠れる森のホニャララ。

 

学生さんも、3人部屋の子もいたので、お風呂の時間を考えるとその時間だけで、12時間が過ぎます。学生も毎晩遅くまで学習。就寝は1時は回っていたでしょう。そんな中、人生初めての手術室見学、異国の地、医者だらけという医療現場からそれぞれに何かを得ようと前向きに学習。医師とのミーティング兼交流会も夕食後からはじまり時間は遅いのですが、医師から与えられた課題を取り組んでいました。

 

現場では、医師が鼻〜顔面のCTの見方を丁寧に教えてくださり、手術進行も解説していただけたので、学生も熱心に話を聞いていました。

 

医師が現地医者との通訳をしてくださり、学生にカンボジア医療の生の声を聞かせてくださいました。

 

手術室以外に疫学調査現場にも見学に入らせていただきました。

 

大村医師からは、手術進行だけでなく、手術に大切な心構えや手術に対する考え方それは、人生においても通じる大切なことというメッセージもくださいました。

 

1オペ学生.jpgオペ学生2.jpg

医療現場の期間は、現地高校生との交流会の手続きも現地医師が進めてくださっていたので、医療視察の後の時間はその準備、練習も行うという、毎日とてもハードなスケジュールで取り組んでいました。

「すごいなぁ。」と側から見守っていましたが、やはり見え隠れする10代の学生さん達。楽しそうにしている反面、チームの中で一番ハキハキ行動する子でも、やはりまだ高校生。北は北海道から南は京都の医師達が集結しておりましたが、どの先生方も耳鼻咽喉科領域では学会のシンポジウムに名を連ねる集団です。大勢の医師らを目の前に楽しくミーティングをしていても、時々私の顔を伺います。目が合い、頷いて応えてあげ、口パクで「大丈夫」と伝えると、またミーティングの輪に戻ります。聞きたいことが近づくと、「良いですか?聞いても」のような視線を送ってきます。アイコンタクトをすると、頑張って医師らに発言する姿がとても一生懸命であり、印象的でした。


リサーチ学生.jpg

また、この医療活動のリーダーであり、プレイヤーである大村先生を軸に、学生さん達は医療見学中に、それぞれに憧れる、好きだと思える先生を見つけ出していきます。学生の前向きな姿勢に、医師団の優しさが学生さんの心を開かせてくれました。

 

日に日に、学生の表情は緊張した表情から、活き活きとした輝きに変化していくのを私は、目の当たりにしました。学生さんの活動を主に見守りながら、側で私もお勉強の日々でした。

 

特に、医療従事者目線と学校教育者目線の違いについて考えさせられる場面があり、コミュニケーションの取り方について考えさせられました。学生を守りつつ最大限に、学びを得て欲しい。この部分は医療者、教育者両者プロ同士の視点で熱が入ります。そこから互いにズレが生じる部分でもあり、その加減というのは日本で社会問題として掲げられる部分だなと 体験する場面もありました。

 

学生を見守りつつ、横目で、カンボジア医療を視察です。

1オペ道具.jpgオペ道具2.jpg

カンボジアの手術室は、日本もかつて通ってきた道。

布ガウン、布の覆布、カスト滅菌物、布に包まれた滅菌物など日本のひと昔前の手術室でした。

しかし、支援や時代の流れも受けて所々良い設備ものもありました。そして、医療に取り組む現地の人々の視線、態度はとてもエネルギッシュ。首都プノンペンの病院という場所も相まって、これからどんどん変化していく現場だろうと感じました。

オペ室風景1.jpg2オペ室風景.jpg

手術は、日本の医師の技術を見学してもらう事に重きを置いているので、執刀医は日本医師。その前立ちにカンボジア医師という形。場面によっては、現地医師と交代。現地医師は、日本の医師らに指導を受けながら手術を進行します。手術室は、指導、教育現場でありながら、協力のもと一つの手術を成し遂げるカンボジアー日本チームの医療の現場でした。

 

 

 

 



医療現場最終日3日目は耳鼻咽喉科学会への参加です。

 

大臣と学生.jpg学会プレゼン.jpg

日本の厚生労働大臣にあたる、The Minister of Health :Mr. Mam Bunleng氏と学生が挨拶を交わす機会をいただきました。また、男子学生は柳井中学校出身です。柳井市代表とでも言いたくなります。大臣にとても良い印象だったようで、とても笑顔でかつ頭を何度も撫でられていました。とても良い経験を学生とともに私もさせていただきました。カンボジアでは、ニュースとして取り上げられていました。学生さんもしっかり映っておりました。

 

学会発表のトップバッターは、大村医師。その姿を学生に見てもらい、学生さん達の学会は終了です。

 

終了後、大村医師と振り返りを行います。

振り返り.jpg

カンボジアに来ることが不安だったが、来てよかったと涙を流したり。

手術見学中に、自分の普段の生活の甘さに不甲斐なさを感じ、医師の志に感動して涙する子がいたりと。それぞれ、とても良い経験ができていました。

「現地に暮らす人々との交流を通じて、平和の意味や自己を見つめ直し、志を育む機会を提供します」この文に示したように

 

振り返り時間での学生の言葉にもあるように、今回のツアーで伝えたかったことが経験できていたように思います。

 

私もとても、充実した時間を過ごすことができました。

 

学会会場で、思わぬ出会いがありました。

それは、SMBGです。耳鼻科学会であったため、糖尿病情報に関しては特別期待をしていませんでした。でも、どんなメーカーが参加しているのだろうか?と興味があり、ブースをぶらりと見ていました。そこで、何か見たことのある形の機器を見つけました。パッケージを手に取り、よく見ると「SMBG」です。


企業ブース.jpgSMBG発見2.jpg

コレを見つけた瞬間。私は笑顔だったに違いありません。

ブースのセールスウーマンさんは、残念ながら使い方を説明できていませんでした。クメール語に対して、不出来な英語で参加。意思疎通出来ず、お互いわからないね。というジェスチャーでわかり合う。さすが、セールスウーマン。料金提示はきちんとしていただき、お互いにその部分は疎通できました。

 

帰国後、クリニックのSMBGパンフレットを読み返していたら、開院当初約十数年前に使用していたタイプと判明しました。

 

 

チョコの本.jpg

また、お土産売り場でこんな本を見つけました。

 

お店が大きく、清潔感のあるお土産売り場は、カンボジア人のために職業支援、自立支援システムが入っているお店となっていました。そのため、日本語、日本語表記も整っており商品アピールも気になるテーマでした。

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この旅、医療でー結ー:日本とアジア の活動を目の当たりにしました。

 

下記は、現地記事抜粋です。

——-(プノンペン):保健大臣のMam Bunhengは、カンボジアの人々の福祉向上のために、カンボジアの保健分野における人材育成を引き続き支援することを日本、韓国および他のパートナーを含むすべての協力パートナーに要請した。

 この声明は、2019323日にプノンペンホテルで開催された医療フォーラム、看護協会、鼻腔、喉、顔面および医療クリニックの開会式で発表されました。——-

 

カンボジアの歴史から、医療学会が大々的にかつ大臣をお招きして会が開かれる学会。とても意義深い歴史的な一コマである現場であったと感じています。私はとても感慨深く、感動いたしました。

 

イデオロギーに翻弄された厳しい時代を経て、今この時代を共に生きる者として

大村和弘医師の活動をとても誇りに感じ、日本国民の一人として現地に入っているという事を改めて感じさせられた次第です。

 

学生さんたちは、日本代表学生といっても過言ではなかったでしょう。カンボジア医療はこれからです。東南アジアで医療支援をお考えの方は、ぜひ声をかけてください!