平成26年3月より月2回程度昼の「まかない」を始めました。NHKの「サラメシ」という番組を真似て、「クリメシ」と名付けました。
今年(平成31年)の新企画は「思い出メシ シリーズ」として、スタッフの思い出メシを月に1回、守冨栄養士とスタッフがいっしょに午前中調理をして、お昼にいただくことになりました。
先日12月8日青島太平洋マラソンを参加した翌日、友人夫妻が西都原古墳見学に案内してくれました。
古墳とは、土を高く盛った古代の墓のこと。貴族や豪族など、身分の高い人や権力者の墓として築造されました。日本では、3世紀半ばから7世紀半ばにかけて築造された墓のことを指す。
平面形により、円墳・方墳・前方後円墳・前方後方墳・双方中円墳・上円下方墳などと呼びわけるようです。
訪れた日が運悪く月曜日で肝腎の資料館を見ることができませんでした。この資料館は西都原考古博物館でこの博物館では、ただ出土品を陳列するという展示方法をとっていない。出土品から当時の暮らしや、その背景を探るという一連のストーリーで、古代人の姿を浮かび上がらせている。また、出土した実際の土器に触ったり、収蔵室の内部をガラス越しに見たりもでき入場は無料。それに入れなかって残念でした。
しかたなく散策しているとボランティアで清掃している方に友人の主人が話しかけられ、いろいろ聞いているうちに古墳についての語り部をされておられ、特に我々二人が山口から来たと伝えましたら「ようこそ!遠路当地へ」と古墳について説明してくれることになりました。手持ちの資料をいただきました。まず私たちがたっているところの後ろの小山が男狭穂塚女狭穂塚陵墓参考地でそれにについて話されました。小山は人があおむけに寝ている姿を想像してくれといわれました。そのかたちで葬られて前方後円墳になっていると。祖先をつきつめていくと皇室につながるとかで?・・・それを調べているとの話・・・。神話と実在の狭間で・・・・
西都原台地には、南北4.2キロ、東西2.6キロにわたって300基以上の古墳が点在し台地の上に立つと、さまざまな形の古墳を一望できると。このような楽しみ方ができる古墳群は全国でも珍しく古墳の規模も形も、それぞれに特徴があり、中には内部の様子が見学できる古墳もあるようです。古墳は一見すると、ただの”小高い丘”に過ぎない。しかし実際には、1700年前から1400年前に亡くなった人々の墓。こちらの古墳群は地元の人々の間では、幼いころから古墳を守るための言い伝えが受け継がれ、そのためか盗掘も少なかったという。地元に愛され、守り継がれてきた”日本一の古墳群”を、見て、触れることで、古代に生きた人々の生活に思いをはせてほしいようです。埋葬されているひとの位はすくなくとも知事クラスくらいのひとらしくいわゆる世民ではないようです。
これから話が佳境にはいるかなと思っていると友人が「山口から来ましたこの二人電車の都合があるのでお話しはこれにて失礼します。」と中断して後ろ髪を引かれる思いでそこを去りました。広い緑の限りなく続く平原に200の古墳があります。遥か彼方山々がつながってみえますので地平線はみえませんが起伏がなく地平線がみえそうな錯覚に襲われます。それほど広く感じます。
春には桜、菜の花で秋は秋桜の名所だそうです。外人客もふくめ多数が訪れるようです。11月第1日曜日は古墳祭りだそうです。みどりの小山2つがあちら、こちらに。よくみると前方後円墳のお墓です。語り部のかたがいわれたように場所によっては入ることもできます。出来たらもっとゆっくりしたいと思いましたが午後宮崎2時の電車にのることになっていますのでまたの機会におとずれることにしてうなぎのかば焼きが美味しいで有名な入船でウナギ丼を食べてその地を後にしました。
マラソンをした翌日は和美マネージャーとあまり行く先をきめず適度に疲れを癒しながら観光しますが身もこころもリフレッシュでき大変たのしくやめられません。次回はどこにいくかなあ???です。終わり。