4月24日(水)現地時間(日本時間から7を引く)
今日はパリ経由で飛行機でマドリードまでいき、そこから前回の到着地点「レディゴス(Ledigos)」まで、電車とタクシーで向かいました。
午前5時40分(日本時間午後0時40分)予定通り、パリ・シャルルドゴール空港に到着。位置関係の分からぬまま、出発ターミナル2Gへの矢印に従ってぐるぐると歩き、保安検査とシェンゲン条約でパリで入国審査。その後ターミナルG2へ向けて、バスで移動。午前6時40分にターミナルに到着。午前9時20分出発で、3時間近くあり、まだ何番ゲートから搭乗か発表が無く、ラウンジへ行き、記事を書いたり、カメラの充電をして、過ごしました。午前4時朝食を食べて、おなかは空いていませんが、フランスと言えば「フランスパンとクロワッサン」をせっかくだからいただきました。余分にパンをもらって、明日の朝食用にしました。クリニックを出発して24時間、まだマドリードへ向け乗り換え、マドリードからレディゴスへ移動、昨年泊まったアルベルゲが空いていればいいですが、宿探しもあります。
午前8時50分になり、搭乗ゲートの提示があり、ゲートに向かい、午前9時過ぎから搭乗開始、ゲートから歩いて飛行機に搭乗、予定より遅れて出発。午前10時20分より、今日3度目の朝食。サンドイッチ、クロワッサッンとヨーグルトとコーヒー。ジャムとバターを明日の朝食用に取っておきました。
午前11時25分、マドリード空港に到着。手荷物を受け取り、これからチャマルティン駅からパレンシア駅まで電車で行くため、タクシーで向かいます。今回も、昨年と同様に、日本へ帰る時に携帯ワープロで書いた文章をHPにアップするため、ノートブックPCを持ってきています。マドリードから帰国前日のホテルをチャマルティン駅近くのホテルをインターネットで予約しました。そこで、タクシーでホテルに行ってフロントに、巡礼から帰ってくるまでPCを預けることにしました。タクシーの運転手にホテルの名前「ホテル・マドリード・チャマルティン」と言い、さらにホテル名を紙に書いたメモも渡しました。運転手がホテルに着いたと言い「ホテル・チャマルティン」と看板がでていました。マドリードの名前は付いていないけれど、33ユーロでチップを含めて40ユーロ渡し、タクシーを降りました。フロントへ行って、準備していたスペイン語の文章で「鞄を預かってほしいこと」を伝え、預かるのは有料で30ユーロかかること、最後に予約表を見せたら、ホテルが違っており、道路向かいのホテルであることがわかりました。そこで、向かいのホテルのフロントに行くと、「荷物は預からないことになった。」との返事でした。PCを含めて、預ける鞄の重さは3キロくらいあり、ただでさえ軽くするために必要最低限の荷物にしているのに、スペースもなく重さも加わると大変です。そこで、さっき行った間違ったホテルにもう一度行って、事情を説明したところ、30ユーロで預かってくれることになり、たまたまホテルを間違ったことが不幸中の幸いとなりました。
次はチャマルティン駅へ行き、パレンシア行きの電車に乗ること。あらかじめ、日本のJRにあたるスペインのRENFEのHPから午後1時40分発の特急の指定席を予約していました。午後1時発もあり、なるべく早く目的地に着きたく時間的には可能ですが、初めての所なので、何かあったときのことを考え一つ遅い便にしました。鞄預かりでウロウロしたり、駅の出発ホームか何番線からわからなかったりで、これも結果的にはよかったです。空港の保安検査のように駅で手荷物の検査があり、ザックに飛行機の手荷物として、果物やパンを切ったりするためにナイフを入れていました。検査で引っかかりナイフの刃渡りが規定より長く、没収になりました。身体検査はなかったので、手に持っていれば問題なかったことになります。保安検査にしては片手落ちのようですが、またどこかの街で購入しなければならなくなりました。電光掲示板に何番ホームからでるか掲示されますが、なかなか表示されず、発射10分前になっても掲示が無く、結局出発が15分遅れました。いろいろありながら、何とか前に進めています。
マドリードはスペインの首都ですが、出発してすぐに見渡す限り大平原の風景となりました。乗り心地は快適で、午後3時半にパレンシアに到着。そこからレディゴスまでは、タクシーで駅前のタクシー乗り場にはタクシーおらず、20分くらいしてタクシーが来ました。タクシーの窓から、昨年シャロンさんといった丘の上にあるキリスト像を見ることが出来ました。
レディゴスに近ずくと、実際に歩いた見覚えのある風景がありました。午後4時40分(日本時間11時40分)に昨年泊まったアルベルゲに到着。73ユーロかかり、チップを含めて90ユーロ払いました。これで本日の目的地に到着し、アルベルゲも空いていて、シングルベッドが7つある部屋で、寝るところも確保できました。クリニックを出て、32時間かかりました。
荷物を整理して、着いたことを周東病院の病診連携室の佐川さんとクリニックの電話当番の中道さんにメールをしました。後日メールの届いた返事があり、何かあれば、WiFiの環境さえあれば、連絡可能となりました。
午後6時半から夕食。遍路メニューで、前菜、主催、デザートを選び、赤ワインと水がついています。前菜はレンズ豆のスープ、主菜はチキン、デザートはバナナにしました。テーブルは韓国6名、日本2名、ドイツ1名、オーストラリア1名の、アジア人優勢のテーブルでした。向かいに韓国人2名、隣にドイツ人がおり、最初にワインで乾杯は各の国の呼び方を言い合って乾杯、食事が運ばれてきて、向かいの韓国の女性2名は前菜にマカロニを選び、「味が薄い、」といって残していました。刺激の強い韓国の食事からすると味が物足りなかったのかもしれません。いろんな話をしながら楽しい食事となりました。
部屋はシングルベッドでブラジルから5名、日本が2名でした。お互いにその国の挨拶を教えあいました。午後9時に消灯、直ぐに寝ていました。