5月5日(日)現地時間(日本時間から7を引く、日本時間(現地時間に7を足す)
5月5日(日)はブルゴスからバスでからマドリードまで行きました。
昨日も午後8時半に就寝したので、午前2時頃には目が覚めましたが、何もすることはなく、騒がしい音がするので、窓際までいってみると、数人のグループが歩いており、土曜日の晩だからか、町中だからなのかはわかりませんが、これまでのいびきしか聞こえないのとは違ったアルベルゲの夜でした。食堂も電気がつけられそうなスイッチもなく、ベッドに戻り、ウトウトして、午後5時前に起床し、枕元にある小さなライトをつけて、記事をかき、午前7時過ぎから食堂で、昨日の夕食をしたレストランでデニッシュを持ち帰りにしたのを朝食にして、身支度をして、午前8時アルベルゲを出発して、バスセンターにむかい、出発時間とホームを確認し、待合室でコーヒーを飲みながら待ちました。
予定通り、午前9時に出発。マドリードはブルゴスの南に位置し、左側から朝日を受けながら、麦畑や草原、所々に教会を中心とした集落のある大平原を進んでいきました。予定通り午前11時45分(2時間45分)で、4月28日(日)にログローニョに向けて出発した同じバスセンターに到着しました。
ホテルは昨年と同じアトーチャ駅の近くで、昨年はカナリア諸島出身の夫妻が一緒に地下鉄で、途中1回の利換え、最寄りの駅までいっしょでした。今回はわからないので、タクシーで行くことにしました。
午前12時に時にチェックインし、4月28日に預けたPCも受け取りました。トイレ、シャワーも専用、ベッドも1段で大きく、急に近代的な生活に入ってきました。テレビを付けっぱなしにして、ドラマ番組で、じっとは聞いていませんが、荷物の整理やパソコン作業をしていると、昨年よりは何を言っているかわかりませんが、以前より聞き取れる単語が多くなったような気がします。これも1年間の勉強か巡礼の効果なのでしょうか。
少し休憩して、歩いて5分の所にあるプラド美術館に行ってみました。建物は改装中で、外側はシートで覆われ、1819から2019で創立200年の垂れ幕がありました。以前一度訪れたことはありますが、見たかったのはゴヤの「裸のマハ(La maja desnude)」と「着衣のマハ(La maja vestida)」、エルグレコの作品を見てみることでした。「マハ」はスペイン語のタイトルはどんなのかを知りたいこと。これもスペイン語講座でエルグレコの作品のことを扱っていたのも理由の一つでした。館内案内の日本語のパンフレットもありましたが、多くて場所がわからなくなり、同じ場所に戻ったりして、2時間ほど滞在しました。
美術館からの帰りにアトーチャ駅のスケッチをするために場所を捜しましたが、なかなかいい場所が無く、ホテルの前にあるソフィア美術館の広場から描くことにしました。なかなかバランスよい構図で描くのは難しく、いいところで良しとして、簡単に水彩色鉛筆で色を付けて、終了にしました。
ホテルのレストランで夕食を食べることにし、注文し終わった頃に、隣のテーブルに日本人の夫妻が座り、お互い日本から来ていることがわかり、食事をしながら各々のこれまでの経緯を話しをしました。埼玉から来られ、毎年ツアーで世界のいろんな所に旅行されていて、今年は10数名でスペインに来て、今日は他の人達は添乗員の方といっしょにバル巡りにいっているが、立って食べるのは余り好きではないということで、ホテルのレストランにした。
来年は南アフリカを予定していることをうかがいました。サングリア、トマトのサラダ、イベリコ豚の生ハム、スープ、パエリア、ステーキ、フルーツ、プリンを二人で分けて、いただきました。生ハムはベジョータと行って、ドングリを餌として飼育した豚のハムで、おいしくいただきました。
帰国すると、新鮮な気持ちの内に旅行中のことをHPにアップし、連休中にたまった仕事や4月分のレセプトのチェック、時差も加わり、旅行からいつもの生活に戻るまでに時間がかかります。昨年は帰国して、旅行の記事のHPへアップのため、文章の編集、写真の取り込みや編集をして、夜中に家について午前5時過ぎまでかかったので、今回は飛行機への搭乗や乗り継ぎの待ち時間、飛行機の中を利用してHPへアップの準備をしたら、帰国してから楽になるのではと思い、PCを持参しました。部屋に戻り、これまでワープロで書いていた文章をノートブックPCにコピーし、HP用の記事にするように、編集しました。
これまでだと、前日の寝る前に明日の出発の準備をし、ザックにつめていましたが、荷物や衣類を出し放しのままで、午後12時、就寝しました。