9月19日(日)と20日(月)に「走って遍路」の第11弾を、前回の足摺岬にある38番札所金剛福寺の手前8キロ地点からスタートし、金剛福寺まで走り、また同じコースを25キロ戻り(打ち戻し)、39番札所の延光寺、さらに7キロ先の宿毛駅まで行きました。
9月18日(土)午前中診療をして、午後1時に柳井から電車で山陽本線、山陽新幹線と乗り継いで、岡山から特急南風で中村駅まで行き、さらにタクシーに乗って、午後9時20分に宿泊する民宿に到着しました。8時間以上かかり、関空からホノルルに行くのと同じ時間を要しました。着くと部屋に明かりのついているところもあれば、消えている部屋もあり、隣の部屋も電気が消えており、なるべく音を立てないようにして、入浴をし午後10時半には就寝しました。携帯電話も圏外になっていました。
19日(日)は午前5時過ぎに起床。民宿の前が海で午前6時前に日の出を見ることができました。午前6時から朝食で、老夫婦2名と女性2名が宿泊客で一緒に食事をし、昨日のことや今日の予定などの話をし、老夫婦は今年で9回目の「通して歩き遍路」をしており、昨年は逆打ち(逆回り)をしたそうです。民宿では接待として、昼食用のおむすびと飴や煎餅などをいただきました。民宿は足摺岬から20キロ手前にあり、今回は「打ち戻し」で足摺岬から25キロは同じ道を戻るので、民宿に大きな荷物は置かしてもらい、ウエストポーチのみで走り、民宿まで戻ってきてから背負っていくことにしました。
6時半タクシーに乗って、前回の足摺岬から8キロ手前ところまで行き、午前7時にスタートしました。 午前8時に足摺岬に到着し、もう一度礼拝をし、展望台にもいきました。すでに多くの観光客がいました。それからさっき来た道を折り返して戻り、正午前に民宿に着き、休憩をしているとヤクルトを接待でいただき、日陰では涼しい風が吹き心地よい気候でした。しかし日なたでは暑く、4キロくらいあるザックを背負うとずっしりと重く残り24キロをスタートしました。体重の多いのは腰や足に負担の感じるのを実感しました。
これで高知県の海岸沿いの太平洋の雄大な水平線とはお別れで、内陸の山の中へ向かっていきました。なだらかな上りが続き、人家もない、下ノ加江川沿いの山道を進んでいき、途中で民宿でいただいたおむすびを食べ、休憩しました。やはりザックの重さや、暑さ、距離がきいてきて疲れが出てきました。ペットボトルの水もなくなり、のどが渇き、所々に家はあるものの、地図を見ても自動販売機のありそうな集落は5キロ先位までなく、暑さも加わりしんどくなってきたところで、農家の前に遍路小屋を見つけ「冷たい麦茶をどうぞ」と張り紙があり、クーラーボックスのなかに麦茶が氷で冷やしておいてあり、砂漠でオアシスを見つけたようなありがたさでした。
午後5時過ぎに宿泊予定の民宿「清水川荘」に到着。シャワーをあびて、洗濯をして、夕食。本日の宿泊は自分を含めて男性5名。一緒に食事をしながら、今日のコースのことや明日のことなどを話しました。自分を鍛えるために回っている就活中の大学生やお参りはせずコースを走って、今日は60キロ走り、八十八ヶ所(1200キロ)を20日くらいで回るのを目標にしている男性などがいました。部屋は布団があるのみの3畳くらいの広さでテレビもなし。 ここも携帯電話が圏外になっていました。午後8時過ぎには疲れて寝てしまいました。本日は42275歩、52キロ。
20日(月)午前6時から朝食。走って回っている男性は午前3時に出発し、大学生も朝食はとらずに午前6時に民宿を出たようでした。食堂に民宿の主人と現在の菅直人総理大臣と民宿の前で一緒に撮った写真が飾ってありました。ご主人と話しをすると、以前菅総理が四国八十八ヶ所を歩いて回った時にここに泊まり、いっしょに写真を撮ったことを聞きました。その時にご主人が「なぜ山道のコースを選ばれたのですか」と聞いたら「日本の木材は80%が輸入によっているが、国内の木を利用すれば50%くらいに減らせる。山の状態を見たいので山道のコースを選んだ」と答えたそうです。帰ってから新聞を見ると国は今後、公共の低層の建物は木造建築にしていく方針との記事があり、関係があるのかと想像しました。
午前6時40分に民宿をスタートし、今度は下り坂が続き、午前8時過ぎに11キロ先の39番札所の延光寺に到着しました。礼拝をして、次回のスタートを考え、7キロ先のJR宿毛駅まで行くことにしました。午前10時過ぎに到着して、今回の走って遍路は終了。バスで宇和島駅まで行き、松山駅まで電車、松山からフェリーで柳井港に午後6時前に戻ってきました。本日が13179歩、18キロ。2日で70キロ。次回は愛媛県をめざします。