10月30日(日)に開催された第1回大阪マラソンにクリニックから2名が参加しました。Team Diabetes Japan(TDJ)関西のメンバーも参加し、10名くらいの参加となりました。昨年のホノルルマラソン以来11か月ぶりのフルマラソンとなりました。
10月29日(土)の夕方までにゴール地点でもある受付会場のあるインテックス大阪にいかないといけないため、午前中の診療が終わったら、すぐに出発し大阪に向かいました。午後4時に受付会場に到着。受け付けに多くの人が列になっていました。いかにも大阪に到着して、そのまま受付会場に来たような人が多く、バッグを引きながら、ネクタイとスーツ姿の人、えっあなたも明日走るのというような体型や格好の方、いつもの大会前のジャージ姿の参加者が多い風景とは違った違和感のある様子でした。ゼッケンや参加賞をもらい、ホテルにチェックインしました。今回は当選通知が来てすぐに、会場から歩いて行ける近いホテルに予約をしていました。その後は午後6時から兵庫県の池田病院の井田先生たちと食事会のためホテルを出ました。井田先生ご夫妻、高田さんと4名でカーボローディングを兼ねた食事会をしました。マラソンのこと、食事のことなどで時間の過ぎるのも忘れ、マラソン前でしたがいつもよりアルコールが入りすぎてしまいました。明日午前8時の集合場所を確認して、午後9時に解散しました。降水確率は50%でしたが、「晴れ男」の井田先生の「自分がゴールするまでは雨は降らない」との予想を期待するばかりでした。
10月30日(日)午前5時半起床。前日、コンビニで買っておいた朝食を食べました。走る服装や雨対策をどうするかを決めるため、午前6時半頃ホテルの外にでてみるとパラパラと小雨が降っており、中途半端な微妙な空模様でした。短パン、ランニングシャツ、アームウオーマー、使い捨てビニールのレインコートで行くことにし、スタート時点でさらに服装は決めることにしました。
午前7時過ぎにホテルを出発、歩いて10分もすると大阪城公園には到着しました。既に多くの人が集まっていました。まずは指定されたトラックに荷物を預け、少しストレッチをして、体をほぐし、気温としてはあまり寒くなく、雨も降らないかほんの少し雨粒を感じる程度でした。第1回の東京マラソンで気温4度、雨の中30分以上待った経験から、念のためレインコートは防寒もかねて、スタートまでは着ておくことにしました。大阪城の天守閣を横に見ながら、集合場所のトイレの横の広場に午前7時40分頃には到着。TDJのTシャツを捜しました。2名のTDJのTシャツの方を見つけ、声をかけいっしょに待っていました。ただ集合場所は各々思っていた所とは異なっていたようで、井田先生達も別の所で待っていたようです。午前8時半までに指定されたスタート場所に集まらなければならず、午前8時10分まで待ち、3人だけで写真を撮り、各々スタート地点に向いました。
指定されたスタート場所にも多くの人が集まっていました。ちょうど大手前病院のまえだったので、そこのトイレを利用するランナーも多くおり、念のため自分ももう一度行っておきました。前の方で多分開会式のセレモニーが行われているのでしょうが、音は聞こえるものの、様子はわからない状態でした。雨も降り続ける状態はなく、レインコートとアームウオーマーは脱ぐことにしました。レインコートは走っているコース途中の係員に渡して処分してもらいました。「スタート30秒前」のアナウンスは聞こえましたが、スタートの号砲はわかりませんでした。時間は過ぎているものの動く気配なく、その後ぞろぞろと歩き始め、6分くらい経過してスタート前を通過しました。スタート地点には今話題の橋下大阪府知事と平松大阪市長が同じステージで手を振っていました。
徐々に走り始め、混んではいますが、最初の1キロが6分だったので、まずまずのペースでした。今回は大阪の街なか、特に難波を中心に東西南北に名所を巡って走るようになっており、できるだけ写真を撮りながら走ることにしました。景色による場所や距離感がわからないので、距離表示のみが唯一の現在の場所や距離を知るめやすとなり、きょろきょろ道路の両側を眺めながら走りましたが、見落とした所もありました。今回は折り返し地点が3ヶ所あり、すれ違う可能性が3回ありました。そんな場所ではTDJのメンバーがいないか捜しながら、なるべく中央側を走りました。気がついたのは二つ目の折り返しで井田先生とすれ違ったのみでした。19キロ地点で木村栄養士に追いつき、写真を撮り、25キロあたりで後方からスタートした井田先生が追いついて抜いて行きました。ハーフ地点で1時間59分と今年初めて、ハーフを2時間切るペースで走りました。
ハーフを過ぎるとエイドステーションには食べ物も並ぶようになり、バナナや饅頭をいただきました。キュウリやトマトなどもありました。最初はキロ6分を切るペースでしたが、25キロくらいからペースが徐々に落ちてきて、トイレにも行きたくなり、なるべくコースに近く、すいているトイレを捜しながらの走りとなりました。結局、33キロあたりのトイレを利用し、少し体も気分も軽くなり、もう少し早めに行っておけばと思いました。結局通天閣がわからないまま通り過ぎてしまいました。残り4キロ地点で井田先生に追いつき、また先に行かれ、ゴール手前で待っておられて、TDJの旗の両端をもって、いっしょにゴールしました。
なんとか雨にずぶぬれになることもなく、ゴールすることが出来ました。「晴れ男」井田先生のおかげでした。帰りの混雑が予想されるのと、なるべく早く柳井に帰りたかったので、荷物をもらい、着替えて、帰路につき、帰りの新幹線の中ではうとうとして、午後6時過ぎには柳井に着きました。大阪で初めての3万人規模のマラソン大会でしたが、良く準備され、スムーズに流れあまり困るようなことはありませんでした。後から帰られた井田先生達のグループは帰りの電車までが混んでいたと聞きましたが、初めての大阪マラソンを楽しむことが出来ました。東京マラソンも第1回は当選しましたが、その後は落選続きで、後はくじ運次第といったところです。翌日の読売新聞の地方版に県内出身者の上位20名の名前とタイムが載っており、木村栄養士が13番目のタイムになっていました。
タイムと一言感想
木村;4時間33分7秒;28キロまで快調でしたが、 お腹の調子が悪くなり総崩れでした。友人の声援でかろうじて完走しました。さすが大阪マラソン、沿道の応援者に驚きました。
大久保;4時間15分2秒;25キロ以降はしんどかったが、大阪の町を楽しめた。