当院の木村栄養士が東京マラソンと京都マラソンに参加したので、その報告をしてもらいました。
木村僖乃
念願の東京マラソン、初回の京都マラソンに抽選にあたる幸運を得て出場しましたので報告します。
東京マラソン
2月26日東京マラソン 快適に楽しく完走しました。36000人が走りました。36000人を一口にいうと柳井市の人が全員走ったに等しいです。平成24年1月末現在柳井の人口は 35034人です。当日は石原知事が「雨男」と聞いていましたので、天気を気にしていましたが、晴れのちくもり?のマラソンには絶好のお天気でした。
私のスタート地点はG地点で大会のスタート地点か らかなり離れており、開会のセレモニーは全然聞こえません。花ふぶきも舞ったようですが、かけらもおちてきません。「君が代」が流され山根さんが聞いて、 聴衆の中から「君が代をこういう会にするのか!!」の声があったようです。スタートして石原知事がた?かい台からゆっくり手を振ってくれるのが見えまし た。目線があったような気がして気をよくして走り始めました。背が高く、黒のコートをきて、凄いオーラがあり、笑顔に魅了されすぐファンになりました。今 も脳裏に残っています。単純です!!
同級生4人 、山根さん、 周東時代の栄養士とご主人、お子さん、姪、妹、妹の友人、凄い応援団でした。
スタートして凄い人の波、ゆっくりペースで走りま した。このゆっくりペースが後半あまりばてずに走れたようです。10km?15km日比谷から品川あたり折り返し地点、妹、妹の友人、姪3人が応援のプラ カードを持って応援してくれているはずですが、見当たりません。往路も復路も目に入りません。がっくりきました。15?20km 下痢がきてトイレに行き ました。トイレに行くといつも力が抜けるのですが、今回はスタミナは落ちず たんたんと走れました。フルマラソンは今回で13回ですが、半分トイレに行っ ています。年代別入賞をねらいたいのですが、トイレに行くと入賞は遠ざかります。最近は癖になっているようです。18kmの品川あたり、山根さん、重富さ ん(元周東病院の栄養士)がいるはずですがこれも見当たりません。あふれるばかりの応援の人、人、人でこの中で出会うのは無理なのかなと半分あきらめの心 境でしたが、25kmあたりの日本橋で、同級生の大倉さんが「僖乃さん!!」と飛び出てきました。あっというまに通りすぎましたが、引き返し、友人4人が もつれるようにして手に持った皮むきみかん(これは、応援時食べたいものは何かと聞かれみかんを皮を剥いて食べさせてと言っていました)を口の中にいれて くれました。友人に会えた感激冷めやらぬところ、東京スカイツリーの雄姿がそびえてきました。同級生に会えた喜びと東京スカイツリーの格好よさに2重の感 激が重なって感涙にむせんで走りました。折り返しで又又同級生にあえてこの嬉しさは生涯忘れられません。その後も、マイペースで走れました。35kmから もあまりきつい感覚はなく普通に走れたのに驚きました。38kmで山根さんの「僖乃さん!!頑張って」の声援が聞こえ山根さん 後輩のご主人の姿が見えま した。これで又体にギアが入り、ペースを落とすことなくフィニッシュまで走ることができました。タイム4時間22分32秒です。トイレに行ってのこのタイ ムもう満足です。今までフルマラソン 35kmから苦しく、へろへろになって走るのですが、今回の東京マラソンはきつさを感ぜず、自分のペースで楽しく走 れたのは最大の収穫です。喜びです。いままでのフルマラソンの中で一番楽にはしれました。本当にびっくりするくらいです。そして、楽に走れた理由を分析し て今後マラソンにつなげたいです。コース、景色、給水、給食、トイレ、沿道のマナー、限りなく対応が行き届いています。競争率の高いのがわかります。今年 も当たることを切に切に祈りたいです。東京マラソンは本当にマラソンをしていて良かったと改めて思わせてくれ、今後の精進への期待を抱かせてくれ、嬉しい ありがたいフルマラソンでした。
京都マラソン
初回の京都マラソンに15000人が走りました。
京都マラソンは東京マラソンの2週間後でした。何 かに5週間はあけたほうがいいとありました。無理な挑戦かなと思いましたが、当たらないとでられないのだからと、最後は歩いて6時間以内に完走すればいい と自分流に理由づけして出ることにしました。京都マラソンのハプニングは地下鉄の四条駅で阪急線に乗り換えるのに1本しか乗り物がないので、駅にあふれる 人で会場に行くのに遅れるのではないかと思いました。かろうじて電車にのり現地に到着しました。コースは想像以上にアップダウンの厳しいコースでした。同 行してくれた山根さんの話によると京都マラソンを完走できればどこのマラソンも走れると大会の挨拶であったそうです。(私のスタート地点では聞こえません でした )東京は走りやすいコースでしたが京都は「えっ!!」と思うくらい上り坂、下り坂のコースで、足、腰に来ました。タイムはフィニッシュの電光掲示 板が4時間42分くらいだったと思います。この写真は池田病院の井田先生の京都の患者さんがとられ、大久保院長に送って下さったものです。紙面をお借りしてお礼申します。有り難うございます。
京都は東京のようにすぐ、ランナーアップデートがありませんので、実際の走行時間はわかりません。私の位置からスタート地点にいくまで7,8分かかり、おまけに途中 緊急車両通過で5,6分走るのを止まりました。(今までのフルマラソンでは初めての経験です)
東京のように後日 完走証が送られてくるようです。
記憶に残っている景色ですが、7kmあたりで嵐山 の渡月橋をみて、広沢の池の横、仁和寺ではお坊さん20人くらいの応援、最後の平安神宮の赤い大鳥居をくぐったときは感無量でした。東京マラソンで走った 靴がよかったのですが、左くるぶしにできた傷が癒えていないので、別の軽い靴を履いて走りました。35kmあたりから底の薄い分、足、腰に痛み来ました。 今まで感じたことのないところに痛みがきて、このまま走ると走れなくなるのではないかと恐怖と痛みの苦痛とダブルを闘いながらの走りで35kmあたりから は景色が目に入っていません。あまり無様な走りはしたくないとの思いと、無理をせずにリタイアも大事なのではないかと自問自答しながら走りました。時々意 識までが飛びそうになり、さらに吐き気がきてもう限界かなと思いつつ走り続けました。マラソンは本当に精神力、根性です。東京マラソンの疲れもとれないう ちにフルマラソンは無謀としかいいようがありませんが、無事完走できてほっとしています。反省点として走る時間に応じて靴は慎重に選ぶべきであるというこ とです。
初回の京都マラソンの気づきは一番の記憶に残るこ ととして緊急車両通過で5,6分止まったことです。翌日の新聞をみると4回あったようです。後半の河川の横を走るときはべた土で雨が降っていたらぬかるみ になるのではないかと思えました。ランナーは足を取られて走れないのではないかと思います。主催者側 改善点は多々あるように思いますが、記念すべき初回 に出られたのはラッキーでした。
京都マラソン、がんばれたのは、山根さんの応援で す。スタート、20キロ、31キロ、40キロの地点にいて、よく声掛けして奮い立たせてくれました。彼女の声援のおかげで「頑張るぞ!!」の気力で走れま した。よく、適所にいてくれたと感激です。きっと京都の地図、交通の便をよく調べたのだと思います。持つべきはよき友人です。改めて感謝です。
翌日は山根さんに付き合って痛む体を20000歩京都観光して歩きました。(マラソンを 詳細に調べてお世話してくれ、励まして頂いたので(笑))これにて報告終わります。