ウェルネスクリニック

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内科・生活習慣病(糖尿病・高脂血症・高血圧)・甲状腺を診療する柳井市の病院です。

トウニョ
〒742-0021 山口県柳井市柳井1547-1
2015.11.20

大阪マラソン、下関海響マラソン、神戸マラソン

僖乃大阪城.JPG和美海峡マラソン.JPG

大阪マラソン(平成27年10月25日)、下関海響マラソン(11月1日)、神戸マラソン(11月15日)に、当院の木村栄養士がフルマラソンに参加した報告をしてもらいました。

「大阪、下関、神戸、フルマラソン73歳が完走しましたので報告します。」

木村僖乃

大阪マラソン

僖乃大阪フィニッシュで.JPG

第5回大阪マラソンが25日開かれ、秋晴れのもと、市民ランナーら過去最多の3万2313人が汗を流した。午前9時に大阪城公園前をスタートし、御堂筋などを駆け抜けた。フルマラソンは制限時間の7時間以内に2万9700人が完走。

私は3回目の出場です。大阪城はいつ見ても立派で日本人としての自覚を感じさせてくれ、元気がもらえます。頑張れそうな雰囲気でしたが、フルマラソンは走ってみないとわからないです。30kmまでは調子よく走れ、かなりよいタイムがでるかなと思いましたが、それ以後は崩れました。理由はわからないのですが補給のゼリーを飲むと胃から下りないようで、力がでず身体がエネルギー不足で枯渇状態になりました。走れば吐きそうになり、苦しいレースでした。フィニッシュで吐き、倒れ手当を受けました。

ちょっと落ち込んでいたら後日年代別2位の賞状が送られてきました。最後まで頑張ることが大事だとあらためて思いました。

下関海饗マラソン

海峡マラソン僖乃.JPG

1週間後の下関海饗マラソンはキャンセルを思いましたが、練習と思い出場することにしました。出場のブロックがBではじめて前の方にいけるので「よっしゃ やれるほどやってみよう!」老骨ムチ打ちました。(山根マネジャーはやめたほうが良いといいましが、木村が出るといえばしかたがないと)。ゼリーがトラウマになっており、どうも体に受け付けないような気がして山根マネジャーにカステラを要所、要所で手渡ししてもらい、それを給水所で水をのみながら流しこみました。いつもながらマネジャーの世話と応援に感激です。途中、大久保先生、清時さん、宮原さんと声かけあって力をもらいました。沿道で応援していただきました前川さんのご主人ちょうどきつい25kmくらいのとこで「頑張って!」嬉しかったです。いつも38kmの坂が心臓破りのようにきついのですが、その登坂をスーッと上って行きました。35km~40kmが意外に楽に走れました。大阪よりちょっとよいタイムで走り、下関はすぐ年代別が出るのですが3位になっていました。一位のかたは4時間きっており、びっくりです。ローカルのところでも70~74歳の年代別で4時間切りがでるようになりました。いい刺激をもらい歳だからもうダメと思わず精進したいです。










神戸マラソン2回目、招待選手で走りました

壇上.JPG木村健一先生と (2).JPG

今回、過去4年間年代別一位の中でもっとも成績の良かった70?74歳で招待された、名誉ある大会でした。前日レセプションがあり、県知事、有名選手(実際どなたが有名かあまり知りません)、年代別一位選手、芸能人、関係者色とりどりで、会の終わり女優の藤原紀香さんが駆けつけ挨拶され、会に花を添えられました。オレンジ色のドレスが映えて美しい方でした。こういう会は慣れておらず気がひけましたが、持ち前の度胸で楽しみました。年代別一位の女性と、たくさん会話し写真におさまりました。壇上に上がり紹介も受けました。お酒(私はウーロン茶オンリーです。マラソンをしてお酒が全然飲めなくなり、飲んだら救急車の出番です)、料理は素晴らしいものが用意されて、美味しかったです。

当日少し雨模様でしたがスタートの頃は晴れて、神戸市役所前出発でポートアイランドがフィニッシュでフルマラソン1万7621人が出走し、神戸の街を駆け抜けました。完走率は97%ですごいなと思いきや気温、湿度が高かったようで過去最低だそうです。木村は11月はじめから帯状疱疹神経痛の痛みで夜ねむれず、これまた最低の健康状態で山根マネジャーに棄権をすすめられたのですがたまたま前日の土曜日すこし調子がよくなり、「行ってみよう!走れるだけ走ろう!」で参加しました。マネジャーもぶつぶつ言いながら着いてきました。いよいよ出発直前、走っても大丈夫かなと思いつつ市役所の救護班のところで、TDJ木村健一先生にお会いしました。先生は4時間30分の救護ドクターで走られるようで「倒れたら僕がいるから大丈夫だよ!」私の胸のゼッケンを見てびっくりされ「招待選手なの、じゃ―一緒に写真にとろう!」と言われお互いのカメラで写真撮影しました。(木村僖乃の走る時間は4時間30分くらいなので、木村健一先生の前後を走ることになり安心して参加できることになりました)ネットタイム4時間19分41秒(グロス4時間26分35秒)

8キロの地点で山根マネジャーに会い、「よしのさん!がんばって」の声援をうけ、カステラを受け取り、給水でカステラを食べカロリー補給で木村の足がエンジン全開で快調な出足になりました。(下関で学習しているので)18キロ折り返しで同級生が要るはずですが見当たりません。折り返しの明石大橋、さすが眺望がよく感慨深いものがあります。途中、宮原さんに会って頑張っての声かけしました。下関の海峡で会うのと神戸で会うのはまた違った嬉しさがあります。宮原さん快調に見えたので私もしっかり走ろうと力をもらい25キロで山根マネジャーを探しましたが姿みえません。何か不都合があったのだろうと思いこれからの山、30キロに向かい飛ばしました。後でわかったことですがマネジャーは私と会えなかったので、てっきり倒れて救護班に担ぎ込まれていると思っていたようで、いつ携帯がなるかドキドキしていたようです。前日夜中、「痛い、眠れない」と騒いでいたので・・・。まずマネジャーはフィニッシュのところに行こうとポートライナーに載って眼下を見たら木村が一生懸命腕を振って走っている姿が見え、目頭があつくなったそうです。ほんの一瞬の出来事です。ちょっとポートライナーが早いか遅かったら見えなかったでしょう。こんな出来事があるのですね。彼女の心配を神様が察して私の姿を見せてくれたのでしょう。フィニッシュ近くでさすがきつくなり、だらだら走っていたら、後ろから大きい太い声がかかりました。誰かわかりません。「もう少しでゴールだ。頑張れ!!顎を引いて、腕をしっかり後ろに振って、最後のガンバリ走れ!走れ!」と。沿道からゼッケンをみて「木村さん 頑張って!」とフィニッシュ近くで、かってない全力疾走をしました。こんな走り73歳の高齢者の自分にできるのかと驚嘆し足が出たことに又びっくりです。おかげで4時間20分を切ることができました。前回年代別1位になったときより30秒遅かったです。招待選手の役果たせたかと思います。

いつもだともう一泊し観光して帰るのですが、翌日帯状疱疹の神経痛のブロック注射があるので帰途につきました。このような状態で走れたのが不思議ですが、宇宙の神様、諸々が守ってくれたような気がします。感謝です。我が家に帰り着くと大阪マラソン年代別2位の表彰状が届いていました。これまたよきことかなと思った次第です。これからも前向きに少々のことは座右の銘「とりあえずやってみよう」の精神でマラソン楽しんで行きます。ありがとうございました。