平成27年12月13日(日)に開催されたホノルルマラソン2015に、当院の武永看護師が初フルマソン、初ホノルルマラソンで挑戦した完走記を書いてもらいました。
私のホノルル初マラソン記
武永 佳子
2015年2月。私の勤務先となるウェルネスクリニックでの面接。先生から「運動はしますか?」と言葉をかけられ真面目に、「帰省前はジムに通ってマシンを使ったり、中・高時代にはテニスをしていました。」とか、返事をしたような事を思い出しながらハワイのハイウェイすすんでいました。
入職後、事務手続で院長室へ伺った時、手続きと同時にクリニックの年間活動の説明と同時に12月のホノルルマラソンのお話しを聞くことになりました。素敵な取り組みをされているなと感激しながらも、私はフルマラソンを走ったことなく。そもそも、長距離は苦手で学生時代は、楽しく走る。ということは、1度もなく。周りからの応援もうれしいどころか、嫌だな。と思うくらい嫌いでした。私の人生において、フルマラソンは挑戦することのない事だとも思っていました。が、まさかここでマラソンに出会うとは想定外でした。
私にできるわけがないという思いが先にでました。しかし、奥様から「私でも走れるのだから、できるわよ」と笑顔で言われると、「できるかも(笑)」と思ってしまう奥様の不思議なパワーと先生のお誘いに導かれマラソンの準備が着々と始まりました。
初心者がマラソンに参加するということで、「毎週木曜日の午後7時30分ウェルネスパークで走りましょう」と決まりました。また、いきなりフルを走るのは大変なので、色々なマラソン大会があるので10kmのマラソンからはじめて、フルを走るまでにハーフマラソンまでは最低走っておきましょう。とスケジュールを院長先生・奥様の指導のもと立てました。マラソン準備の第一回目は、ウェルネスパークでストレッチの方法と1kmペースの把握。第2回目以降は1時間自分のペースで走る事を続けました。はじめは、1km走るだけで息があがり苦しく、膝が痛くなったり、足が痛くなったりとしました。どこかが痛くなるとこれでフルを走れるのかと不安になったりしました。マラソン大会の参加は、桜江町マラソン(10km)・聖湖マラソン(10km)・萩・石見空港マラソン(ハーフ)でした。その中でも桜江町はアップダウンが厳しくそのおかげでその後のマラソン大会での坂道は桜江町ができたのだから大丈夫という気持ちになれました。初ハーフでは、景色もよく沿道の応援が気持ちよく応援されるのって嬉しいし、力になるのだなとすごく感じることができた楽しいマラソンでした。
12月11日いよいよ出発日。デルタに乗って到着。私にとっては2度目のハワイでしたがやはりハワイの空気は開放感があり、走ることを忘れてしまうくらいの気分になってしまいました。ハーフマラソンが走れたという自信と、奥様に「気楽に楽しく走ればいいのよ」と言う言葉。友人からも「楽しむべし」とメール。だんだんとハワイでの楽しい走りのイメージが膨らみ早くマラソン始まらないかなぁと思っていました。
12月13日スタートラインに立つ日になり、TDJメンバーと合流しスタート地点へ向かい5時のスタートを待つ時間。さすがに、緊張してきて「大丈夫かな?」という心配がでてきました。ウォークのメンバーさん達に「ゴールで待ってるから、頑張ってね。途中、おいしそうなアイスバーみたいなの渡されるけど、あれはワセリンだから食べちゃだめよ!」とアドバイスをもらい。気合いが入り。院長から「はじめのペースはゆっくりで、30km超えてからの体力とダイヤモンドヘッドの最後の上り坂を越える力は残しておくといい」という言葉をスタート前にいただき、花火の音とともに私の初フルマラソンがスタートしました。花火に見とれながらウキウキしながら走りはじめました。しかし、人が多くちょっと蒸し暑いせいか体が重く走りはじめと同時に足痛いような気がする。と早々に感じながら走りだしました。途中、院長の応援旗をみつけ気持ちにエネルギーチャージをし、スタート直後は暗い中なので、イルミネーションを楽しんだり写真を撮ったり。ワイキキ沿いでは、沿道も応援も多く賑やかなのでそれを楽しみながら。でも、やはり異様に暑く感じ息苦しいなと思っていました。すると、カピオラニ公園あたりからスッと風が抜け涼しさを感じホッとした気分をとりもどしました。ダイヤモンドヘッドの坂では人が渋滞し走ろうにも人が詰まって中々進めないというリズムが取れない道のり。ハーフまでは走り続けようと計画したいましたが、15km付近ですでに歩いたり走ったりでした。15kmあたりで、プレッツェルのお菓子を配る応援者あり。好きだからと口に入れたのが間違いで口の中の水分を90%近く奪われ焦って持参の水を飲みました。水を持って走っていてよかったです。20km超えて30kmまでは、「もう私は歩く。走りたくても歩く」と決めて歩きました。21km超えは私にとっては、未知の世界。体がどんな反応をするかわからない状況。でも、心の中で痛くても「楽しむのだ!」、「30kmからが勝負だから」と言い聞かせながら歩きました。ハイウェイでは、臨床検査技師の前川さんが見えたり見えなかったり。という状況。この頃から左足の膝裏が痛くなってきていて、ストレッチをしながら歩いていました。途中、足の指も気になってきたので「そうだ!ワセリン塗ってみよう」と思い、メディカルテントがあるポイントでワセリンをもらい足の指に刷り込みました。途中、日本人の女性に写真を撮ってくださいと頼まれ写真を取ったあと話を伺うと、初ホノルルマラソンということでした。普段は5時間でフルを走るとのこと。確かに、私と比べて顔と体に余裕がある感じが伝わってきました。25km付近では、しばらく同じペースの叔母さまに出会いお話しを伺うと、6回目くらいとのこと。走るときは一人だけど仲間がいますと。こういう会話があるから楽しいのよ。とおっしゃっていました。そのような会話で気を紛わせ楽しみながら前にすすみ。30km手前になると、前川さんの姿を見かける時間が多くなりそれを励みに私も頑張ろうと再び走りはじめました。しかし、左膝裏の筋が思っていた以上に痛くなりつつあったので少し走ってはストレッチ。走っては、ストレッチの繰り返しでゴールを目指すことになりました。前川さんと12時に間に合うかなと励まし合いながら走りました。前川さんがいなかったら、私走っていたかな?と思うくらい前川さんの存在が励みになりました。また、ふと音楽が良いという事を中倉さんが言っていたなと思い出し、音楽を聴きながら走ることにしました。はじめは、安室奈美恵・マドンナなどのノリのいい曲が流れ気分もノリこれ良い!走れる!という気持ちになり走りました。最後の上り坂を終えてからコブクロの曲が流れはじめてしまいました。曲名は轍。今度は、歌詞をかみしめ感傷モードになってしまい。涙がでそうに。これは、聞いていたら鼻水までが出てしまうと思い。イヤホンをとりラストスパートと頑張りました。
直線コースに入ると、遠くに白い横向きの幕がちらりとまばゆく見えました。ゴールだ!と思うとなんだか、嬉しくて。TDJどこかな?どこかな?と探しました。TDJをみたらまた力がでると思い足をすすめ、水色Tシャツの集団が見えた瞬間いた!みんながいる!と思うと涙が溢れてしまいました。「頑張ってね」と日本でお留守番中の大川さんに言葉をもらったなとか、スタート前に「ゴールで待っているからね」という中本さん、世木さんの言葉を思い出し心がキュンとなり、木村さんが駆け寄ってくれてまだ間に合うから頑張れと応援してくれさらに、感激してしまい、涙がボロボロ。涙をぬぐい走っていると、袴姿のおじさまが「ナイスラン」とハイタッチしてくれました。ホノルルマラソンっていいな。そして、TDJ、ウェルネスクリニックって良いチームだなと思いながら、みなさまのおかげでフルマラソンを完走できました。
「運動はしますか?」から初ホノルルフルマラソン完走までの道のりは、自分だけでなく院長をはじめとする多くの人のアドバイスと応援に支えられてゴールできたものだと感じています。ゴールしてからも、足が痛く動きつらい私に渡辺さん、田坂さんがお水とアイスを持ってきてくださりゴール後も支えてくださる皆様に本当に感謝の初マラソンでした。学生時代大嫌いだったマラソンが今では、マラソン楽しいねと言えるまでに変心をとげました。楽しい初ホノルルマラソンでした。