平成30年6月16日(土)午後3時30分より、山口市湯田のホテルニュー田中で、山口県1型糖尿病患者会 「山口会」の講演会が開催され参加しました。米子医療センターの木村 真理先生が「「後悔せずに、生き切りたい〜1型糖尿病、合併症、移植からSAPまで〜」」というタイトルで講演をされました。患者さん、親御さん、学生、教員、医療従事者など90名の参加者がありました。
午後3時半から午後5時過ぎまで、木村 真理先生による「後悔せずに、生き切りたい〜1型糖尿病、合併症、移植からSAPまで〜」と題して講演がありました。自己紹介の後に8歳の時に、日本で始めて学校検診の検尿が始まり、それに尿糖が陽性となり、1型糖尿病が見つかった。しかし45年前当時はまだ糖尿病に対する認識、どのような病態、検査や治療も進んでおらず、ガラスの注射器、HbA1cのようなコントロールの指標、自己血糖測定やインスリン自己注射も認められておらず、インスリンも中間型と言われる豚のインスリンを一日一回注射していたこと、サマーキャンプへの参加など、これまでの経過を紹介されながら、当時の医療状況についての講演がありました。
ご自分の経歴を話しながら、ストレスが強くなったり、通院間隔が仕事の関係で開いたりすると糖尿病のコントロールも悪化して行った。成人し、医師となってから、眼底出血、有痛性神経障害、慢性腎不全と種々の合併症が進行したこと。2009年にご主人からの申し出により生体腎移植を受け、以前に比べて体調が改善。2011年に脳死膵移植を受けさらに体調も良くなったが、その後拒絶反応があり、その治療により体調が良くなったり悪くなったりを繰り返し、2014年1月に移植膵は機能喪失となる。その間に入院の繰り返しや入院期間も長くなったしまったこと。インスリンポンプによる治療をし、現在はSAPやリブレを使用してコントロールしていることを、その時の自分の心境と伴に話されました。時間もあっという間に過ぎていきました。
「ストレスの発散法」「カーボカウントについて」「患者会への参加をどのように勧めていけばいいか」「鳥取県での塩分摂取量と塩分指導について」「もしも45年前の8歳の自分の主治医になったとしたら、どのようなことを伝えたいか」など多くの質問がありました。講演終了後も、講師の方と多くの参加者が個人的に挨拶や質問などで熱心に話しをされ午後6時過ぎまで続いていました。
その後は場所を変えて有志と演者の先生を囲んで10名で午後6時半から食事会をし、各々が簡単な自己紹介をして、講演や趣味のことなど話しも弾みあっという間に時間が過ぎて、そろそろということで午後9時半過ぎにお開きとなりました。
翌日、6月17日(日)は朝、ジョッギングする予定でしたが、早く起きられず、タイミングを逃し、快晴でさわやかでしたが、出来ませんでした。朝食のビュッフェは食べ過ぎない事を心がけ、朝温泉にも入り、ゆっくりとした朝を過ごす事が出来ました。今日のポイントはパンプローナの山口公園でみたフランシスコ ザビエルの抽象的な像(写真上左)があり、同じ像がザビエル教会の中庭にもあり、それをもう一度見てみる事でした。以前教会の展示室の窓から見た時はあまり大きく見えませんでしたが、近くで見るとパンプローナと同じくらいの大きさ(写真上右)でした。パンプローナはブロンズ像のようでしたが、山口の像には赤茶色のさびが出ていました。帰りに宇部の大学病院に入院している知人を見舞って柳井に戻って来ました。