
平成18年(2006年)7月3日にクリニックをオープンして12年9か月が経過しました。勤続10年になった職員に、1年のうちに好きな時期に各部署で支障がないような勤務体制で、リフレッシュ休暇を15日間取れる事にしました。6人目は渡辺事務員に報告していただきます。
私のリフレッシュ休暇 〜ニュージーランド〜
リフレッシュ休暇を利用して、ニュージーランド(NZ)へ行ってきたのでご報告します。
平成31年3月10日午前8時柳井を出発して19日午後12時に帰ってくるまでの9泊10日間、山の師匠である前川さんと二人旅です。
出発日(3月10日)


2日目(3月11日)
NZのオークランド空港までは約11時間のフライトで、翌日の現地時間で午前9時(日本との時差は通常+3時間ですが、サマータイムの期間だったので更に+1時間されて、NZが4時間すすんでいます。)に到着。今回の旅は主に南島で過ごすので、続けて国内線でフランクトン空港に移動します。が、ここでハプニングが。離陸して約1時間半後、着陸体制に入って順調に下降していた機体が、私の体感で斜め45度くらいの角度で急上昇していくのです。機内アナウンスが流れましたが、何を言ってるのかさっぱりわからず、滑走路が混んでて降りれなかったのかなー?と二人で話していました。しばらくすると、先ほどと同じ景色が見えてきて再び下降がはじまります。するとまたまた急上昇です。まるで戦闘機のタッチ&ゴーの練習のようで、かなりのGを受けて、まわりも少しザワついていました。するとまたアナウンスが流れ、かろうじて「once again」だけ聞きとれて、そのうちにまた同じ山肌、湖が見えて下降し始め、私たちは胸の前に手を合わせ祈りました。三度目に今度は無事着陸成功し、機内は拍手と歓声が沸き起こりました。ちょっとしたアトラクション(?)を体験した後、午後3時にクイーンズタウンのホテルにチェックインし、この日から3日間はここを拠点にいろいろなアクティビティーに参加します。この頃のNZの日の出は7時30分頃、日の入りが20時過ぎなので、楽しめる時間はまだまだたっぷり。

3日目(3月12日)
このツアー一番の見所、『ミルフォードサウンド』観光です。


4日目(3月13日)
ツアーとしては自由行動の日で、おまちかねの『ルートバーントラック』ハイキングの日です。
「ルートバーントラック」は本来なら全長33kmを2泊3日で歩ききるのですが、今回は日程上、途中までの往復8kmを1日体験ハイキングできるオプションにしました。ニュージーランド人でネイチャーガイドのエロルがホテルまで迎えに来てくれ、出発地点のルートバーンシェルターへ車で移動。スタートから雨が降っていたので、レインスーツを着て歩きはじめました。途中雨が止むと暑くなるので、レインスーツは何度も着たり脱いだり。エロルは流暢な日本語でとても詳しく、時に熱く解説してくれ、そして時々、テストをするのでいつもの山歩きとは違って常に頭をフル回転させながら進みます。おかげで私は後に出会うガイドさんたちに質問されたときは誰よりも早く回答できるくらいに、国の歴史、自然、環境など、ニュージーランドの様々な事柄を知る事ができました。1日体験コースの私たちは昼休憩のルートバーンフラットで折り返しますが、ここで出会った福岡から来た大学院生5人は踏破するというので、しばし語り合った後、旅の無事を祈ってお別れしました。フラットな道でとても歩きやすかったので、私が先導して帰っていると、予定よりも1時間早くシェルターに着き、エロルが「今日は早くビールが飲める」と喜んで車を飛ばして帰って行きました。
5日目(3月14日)
次の宿泊地『アオラキ/マウント・クック国立公園』に向けて260kmの移動でしたが、日本人ドライバーの軽快なお話に車内も退屈せずに過ごせました。そしてここでの宿はニュージーランド最高峰、3724mのマウントクックをはじめ、2500mー3000m級の山が20も連なるサザンアルプスを眺められる国立公園内唯一のホテルです。
昼過ぎに到着し、軽いランチを済ませてチェックイン。その後NZに来てから申し込んだ「氷河ボートクルーズ」に出発です。バスに乗って5分、その後ボート乗り場まで30分ほど軽く峠を越えて歩いて行きますが、その間にも氷河の積もった雄大な山々を眺める事ができ、感動です。ボートへは日本人のご夫妻と私たち、そして中国人の団体6人と一緒にライフジャケットを着て乗り込みました。このアクティビティーは世界で3ヶ所しか行われていないとか。タスマン湖は氷河が後退する事で1973年から形成され、1980年代に急速に拡大したそうです。この旅行中、何度も氷河の成り立ちや現在の状況についての解説を聞き、また目の当たりにして、地球はとんでもない事になっていると実感しました。ガイドのショーンはその氷河が融けた湖を氷山をよけながら、時には絶妙に近づいて触ったり、抱きかかえたり、舐めさせてくれます。この氷は300年前に降った雪が圧縮されたものだそうです。撮影スポットではショーンがカメラマンになって、ステキな写真を撮ってくれました。
6日目(3月15日)
この日もお楽しみの『フッカー・ヴァレー・トラック』ハイキングです。
しかし、やはり朝から雨なのでレインスーツを着込んでスタート。本日のガイドは智子さん。彼女は7年間、某製薬会社のMRをされた後に山好きが高じて1年前からこの地でガイドをしているとの事で、お互いの登山話もはずみ、また整備された歩き易い道なので、傘を差しながらも足取り軽く前に進みます。途中雲の間に見え隠れする氷河にみとれて足を止めたり、可愛い花の説明や木になっている実をつまみながら、先日のルートバン・トラックハイキングの時にエロルから教わった事をおさらいしながら歩きます。とうとう雨は止むこともなく、予定していた終点のフッカー氷河湖でのランチは諦めて片道5kmを戻って行きました。途中、虹を垣間見ることもでき楽しかったハイキングの後、ホテルの部屋のテレビで、同じNZの『クライストチャーチ』で大事件が起こったことを知るのです。
7日目(3月16日)
飽きることのない絶景、マウントクックに後ろ髪を引かれながら、最初に泊まったクイーンズタウンに移動です。

8日目(3月17日)
南島から北島のオークランドに国内線で移動します。その前に、NZの国鳥、キーウィを見るためにホテルから歩いて10分の所にある「キーウィ・バードライフ・パーク」へ行きました。キーウィは夜行性なので展示室は暗くしてあって、見つけるのが大変でした。その他にもNZを代表するいろいろな鳥たちがいて、エロルや智子さんに教えてもらった鳥について総復習する事ができました。さて、見慣れたワカティプ湖に別れをつげ、オークランド空港へ到着。
今まで過ごしていた南島と違ってオークランドは大都会でした。二人の口から真っ先に出た言葉は「信号機があるっ!!、建物も高いねー」。というのも私たちが主に過ごしていたクイーンズタウンには街中に信号機が二か所しかありませんでした。そのかわりに「ラウンドアバウト」というロータリーがあり、一旦停止して、右から車が来なければ中に入って時計回りに走行するシステムになっています。そしてオークランドには地下鉄があり、その工事もいたる所でしていて、今まで見ていた山と羊だらけの自然とは全く違います。この日は3月17日で世界中でアイリッシュの「セント・パトリックス・デー」のイベントがあり、NZでも海辺のバーなどで緑色の洋服や帽子など身に着けた大勢の人たちが大騒ぎしていました。人の多さと、お酒が飲めない私たちは、ニュージーランド料理店に入るのにしり込みしてしまい、回転寿司で最後の晩餐としました。
9日目(3月18日)
いよいよ出国です。帰りは午前10時出発、日本時間の午後5時前に成田到着です。
起きている時間の大半が飛行機の中、機内食も2回出てデザートにはやはりアイスクリームがつきました。NZは、国の面積は日本から北海道をはずしたくらい、人口は500万人弱程ですが、アイスクリーム消費量は世界第一位だそうです。私もこの旅行中、山歩きの日以外はよく食べました。機内では映画を観たりゲームをして過ごし、11時間後に日本に無事帰国。岩国便への乗り継ぎのスケジュールの都合上、東京に一泊しなければならないとの事で、前もって羽田のホテルを予約していました。その名もずばり、『変なホテル』。テレビなどで見たことがあって一度泊まってみたいなと思っていたのですが、ロボットはフロントにしかいなくて、客室はいたって普通でした。
10日目(3月19日)
楽しかった旅も今日で終わり。9日前の出発の日、柳井は雨。到着日の今日も雨です。柳井まで戻ると周りの山が低くて物足りなさがあり、あの雄大な山々の写真をいつまでも眺め、そして今回行けなかったトラックのハイキング、その他の場所に思いを巡らせているのでした。
最後に、長旅にお付き合いくださった前川さん、快く送り出してくれた家族に感謝するとともに、院長はじめ、奥様、同職のお二人、他スタッフのみなさんに深くお礼を申し上げます。10年前にここまで頑張れると思っていなかった私に、ご理解ご協力をいただきありがとうございました。