4月30日(日)現地時間(日本時間から7を引く)
今日はボアディージャからビジャカーサ デ シグラまでの20.8キロでした。
午前4時半、目が覚めて、台所の横の洗面所に行くと、電気がついていて、台所のテーブルでシャロンが座り、パソコンに向かっていました。たぶん、自分たちの帰国へ向けて、交通手段を調べているのではと想像しました。午前7時から、レストランで朝食があり、身支度をして、出発の準備をして、家からレストランに向かいました。朝食はフランスパン、オレンジジュース、コーヒーで食べていると、日本からの男性が座ってきて、あいさつをして、フランスのルピュイからスタートし、たぶん1000キロくらいは歩いていることになります。
朝食の後に、5月2日の帰りのことについて、ホテルでマドリード行きの電車をシャロンが調べていて、インターネットで予約も出来ました。4月30日と5月1日に泊まるアルベルゲも予約してくれていました。朝食の後、アルベルゲを案内してくれて、エドのお母さんの描いた上手な静物画や風景画が壁に飾られ、中庭は綺麗に手入れがされていました。
エドのお母さんがロビーにおられ、一緒に写真を撮りました。アルベルゲの前の広場に公開の処罰の塔があり、そこでシャロンと3人で一緒に写真を撮り、家に戻り出発の準備をしました。
家に戻り荷物の整理と準備をして、家を出発し、途中アルベルゲに寄りエドに色々大変お世話になったことのお礼を言って一緒に写真を撮り別れました。
今日は運河のあるところまで、犬の散歩を兼ねてシャロンと一緒に歩くことになり、飼っている2匹の犬と30分ほど、一緒に話をしながら歩き、エドが3頭の白い馬も飼っており、その牧場の前を通り、運河の入り口で別れました。各々上流と下流の方向に分かれて、行きました。
運河沿いの道を歩きながら、道沿いに普通の巣箱もありますが、コウモリのデザインがされた巣箱が気につけてあるのを見つけました。途中、船着場があり、運河の終点には船が泊まっており運河を観光の為に航行するようになっていました。
次の町フロミスタに着き、よく見かける太い幹と枝に楓のような形をした葉がついている何の木かわかりませんが、並木道となっていました。バルでコーヒーとチョコ入り菓子パン(ナポリターナ)で休憩。ヴァージニアから来てカストロへリスの町の手前であった夫妻と再会し、挨拶。スケッチをしていた、カストロへリスの絵を見せてくれと言われ、ささっと描いて大したことはないですが、写真を撮っていました。
その後は道路沿いと川沿いの道に分かれ、少し回り道になりますが、木も生えて日陰もある川沿いの道を選びました。途中ビジョビエボの町の公園に店があり、そこで昼ご飯として、コーラ、バナナケーキを購入し、シャロンからもらった洋梨とオレンジも一緒に食べました。たぶんそこの住民の人も数名が集まり、憩いの場になっているのか談笑していました。トイレもあり、用も足して、予定の次の街まで後っちょとになりました。
さらに歩いて、午後3時40分、ビジャカーサ デ シグラの町のアルベルゲ「Don Camino」に着きました。あらかじめシャロンが予約してくれていたので、これから宿探しをしなくてすみ、気分的には楽でした。部屋は2階の2段ベッドが3つとシングルベッドが2つの10人の部屋でした。2段ベッドの下2つとなりました。いつものように、シャワーを浴びて、洗濯。洗濯機は無く、手洗いで干して、町を見て周りました。大体ペースが同じ人とは抜いたり、抜かれたり、休んだりしていると、再会することが多くなります。町を歩いていると、ボアディージャの夕食で一緒だった一人で歩いている韓国人の女性キムさんと再会し、銅像の前で一緒の写真を撮りました。
午後7時からアルベルゲのレストランで夕食、ハルカさんと再会し、いっしょのテーブルで、これまでのことやこれからのことを話しながら夕食をしました。食事の後、洗濯物を取り込み、明日の準備をして、午後9時半就寝。明日は今回最後の遍路の日、29キロと長めで、午前7時を出発予定。
今日は20.8キロでした。