令和5年4月23日(日)に開催された第25回長野マラソンに当院の木村栄養士が参加した報告をしてもらいました。年代別(80歳)で1位でした。
「リタイア寸前、あきらめずに走った2023長野マラソン」
木村僖乃
令和5年4月23日に開催された第25回長野マラソンに出場しました。
8836人が完走し完走率89.88%、長野運動公園をスタートし、長野オリンピックスタジアムにゴールする春の信濃路を駆け抜けました。
コロナも少し落ち着いた感の中のマラソンで昨年のようにチェックは厳しくはなかったですが体温の検査はありました。受付でチェック済みのリストバンドがないとスタート位置につけません。
宿泊が会場からシャトルバスで1時間半志賀高原にあるホテルです。4時に起床、5時50分発のバスで会場入りです。前日は柳井発6時43分で朝5時起床です。朝の弱い私、長野マラソン出場は早朝起きの試練から始まりです。諸事情があり出場危なかった長野マラソンですが参加する事にしました。朝の早いのはつらかったです。
今回で7回目の出場です。7回の出場、よく朝早起きしたな!です。
和美さんのいつものように頑張っての声援をうけてスタートしました。走り始めてちょっと体が重いな?の感です。スピードが出にくいのです。ゼッケンGをつけての走りで5kmくらいのところでH、
I、Jのゼッケンをつけた人が抜いて行きます。すこし焦りがでてきましたがマラソンの先生の言葉を思い出しました。「周りをみるな!10m先だけをみつめる。自分に集中して走りなさい!!」
ひたすら呼吸とリズム、腕の振り、前傾姿勢に。18キロ当たりでTDJの男性、女性が「TDJ!」頑張って!」と声をかけて抜かれていきました。折り返しの22キロでまた「TDJ!頑張って!!」と。誰に言っておられるのかと周りをみると私に目線を送っての先ほどのお二人が声をかけていただきました。「は~い!」で応答しました。その地点で和美さんが私に声援を送ってくれたようですが気がつきませんでした。残念!!
この辺でいつもより遅れていました。和美さんも完走できるかな?と危惧したようです。リタイア?気持ちが起きかけていました。25キロで大会が用意の100キロカロリーゼリーが給食で出されていました。これを飲んで走り始めてしばらくしてお腹の調子が悪くなり危なくなりました。トイレがありません。漸く見付けたら1つだけのトイレですでに待っておられます。ゼリーがあるところには沢山のトイレがあったのに。くやしい!!いつもより遅れているのに、これでまた!今回こそ完走まえに収容されるかな? 長野は制限時間、大会の中で一番厳しい5時間です。7、8分ロスしました。用事が済むとお腹の調子はよくなりました。あきらめずに走れるまでは走ってみようです。
また山村先生の言葉が脳裏をよこぎりました。前方を見つめ、体を倒し、腕は腰の当たりでハの字に振り、呼吸は「ハーハーハー、スツ」をしていると段々リズムがとれてずっと行けるようになり、30kmから35km、40kmと・・・・・。
走れました。何も考えないようにしてひたすら前方だけを見つめました。35kmあたりでは抜いていかれた方を抜いて行きました。きついけど走れる感じです。
フィニッシュの電光掲示板が4:31:07をさしていましたがスタート地につくまでは5分近くあったのでネットは4:26:20でした。フィニッシュで、和美マネジャー私がわからず、青いユニホームの男性の集団と一緒でしたので小さい私は隠れてみえなかったようです。和美マネジャー「とうとうリタイアしたか!」会って話すときどう慰めようかと思ったそうです。しかし、このタイム、80歳年代別一位、70歳の年代別一位より早いタイムでした。最後まであきらめずに走って良かったです。
長野マラソンはオリンピック委員会が主催で選手のレベルも高く、走る場所がかってのオリンッピック施設を巡りながら42.195㎞を駆け抜けることができるマラソン大会です。トップランナーと市民ランナーが同じコースを走る大会として親しまれており、雄大な北アルプスを臨みながら走れて満足です。
大会の準備、給食、沿道の応援素晴らしく、桜の花も満開でした。
体調はいまいちでしたが、無事完走し、そして思ったより後半うまく走りぬくことができてこれはマラソンの先生のアドバイスのおかげと感謝です。和美マネジャーと一緒に飲めないお酒(お茶)で祝杯しました。
翌日善光寺さんにお礼参りをして長野を後にしました。来年もチャレンジします。