令和元年12月8日(日)に開催されたホノルルマラソンに当院の渡辺事務員が初めてのフルマラソンとして、ホノルルマラソンを走った報告をしてもらいました。
「初めてのフルマラソン」
渡辺 美香 事務員
4年前、ホノルルマラソンに初参加した時のTDJ懇親会で「今回は10kmウォークでの参加ですが、いつかはフルマラソンに挑戦したいと思います。」と自己紹介していました。そのいつかがこんなに早く訪れようとは思いませんでした。それは昨年の今頃、3月のニュージランド旅行に向けていろいろと準備をしている中、パスポートの期限が残り少ない事に気がつき、そして少しでも若いうちに一度フルマラソンに挑戦しておこうと秘かに決心し、今年の新年会で年間達成目標として発表したのです。
それからの一年間は経験豊富な先輩たちにアドバイスをいただきながらも、来月から、その次月からと練習に足も心も向かない日々が続き、とうとう12月になっていました。そしていよいよ当日、大体の流れは以前のウォークで把握しています。
マラソン当日午前2時、起床後、梅干しおにぎり1個を食し、田坂さんと一緒に武永さんの妹さんからいただいた足のテーピングを施し、ウエストポーチに入れるもの(途中の栄養補給として、ういろう2個、後半で差をつけると記載してあるアミノ酸ゼリー)を再チェックし、最後に昨年クリニックからの参加者に好評だったユンケルのドリンクを一気に飲み干していざ出発です。
12月に入ってから時々沸き起こっていた緊張感、不安感はどこへやらで、「もうここまできたら楽しむしかない、2回目の集合写真までには帰ってくるぞ」と意気込んでのスタートです。スマートウォッチを持っていない私は、いつもスマホのアプリでラップを計っていましたが、大勢のランナーの中でウエストポーチから長さが16cmもあるスマホを出したり入れたりが難しく、更に長距離でのペース配分も全くわからないので最初は奥様について走ることにしました。
3kmくらいまではこの分なら息切れもせずに楽に走り続けられると奥様から5m程離れてついて行っていましたが、人ごみを掻き分けて走るのがしんどくなり、断念。とりあえず5kmごとにスマホの時計のスクリーンショットを撮っていき、大まかなペースを掴むことにしました。しかし、ペースメーカーを失った私はかなり早い段階で走ることに挫折し、とにかく早歩きで前に進むことにしました。
先輩たちの言葉どうり、折り返し地点までは体力も気力も順調でしたが、やがて左のおしりがいたくなりはじめ、周りに流されずっと歩き続けていました。ハイウェイでは青いTシャツを見かける度に、TDJのメンバーとわかると駆け寄ってハイタッチしてもらいます。しかし走るとこむら返りを起こすという悪循環にみまわれ、その後ゴールするまで走り続けることができなくなるのでした。途中、軽いめまいに襲われ、ハイウェイの途中でしたが日陰を見つけ、初めて腰をおろしました。そこでゼリーを注入して体操座りのまま眠っていました。時間にして5分くらいたったと思いますが、急に元気になり、しかしおしりが痛いので再び歩きはじめました。それからクリニックの中では一番初めに院長とすれ違い、写真を撮っていただけるかなと満面の笑みで両手アロハポーズをしましたが、院長はただ手を振るのみでした。その後しばらくして田坂さんとすれ違い、歩いていたにもかかわらず「よう頑張っちょるねぇー」と声をかけてもらい別れました。奥様とは出会うことができませんでした。
復路のランナーにアイスクリームが振舞われているのを見て、「どうか私が通るときにもありますように」と願っていましたが、車はあるものの掛け声だけ振舞われて少しガッカリです。後に奥様や田坂さんに聞いた話ではそうめんなどもあって塩気がとてもおいしかったとか。やはり頑張らないとご褒美はないのだなと痛感しました。それからダイヤモンドヘッドの上り坂をあがった所で再びめまいがしたので海を見ながら小休止し、ここからは下りになるのでちょっと走ってみようと駆け出しましたがやはりこむら返りが起こり走れません。この辺りまでずーっとTDJのピンクの帽子の人が視線の先に見え隠れしていたのですが、「ラストスパートかけるね」と言い残して行ってしまいました。
足元に視線を落とし一人トボトボと歩いていると、TDJのメンバーがお二人「迎えに来ましたよ。その先にみんな待ってるからマイペースでがんばれっ!!」と励まして下さいました。しかしそこからTDJの応援席までの距離の長いこと。しかも青い集団は芝生のほうに群れており「写真撮影も終わり、解散になったんだな。」と思いながら手を振ると奥様が駆け寄って下さり、「二回目の写真撮影が今からだからおいで。」と芝生の方へとうながされました。なので私のタイムはネット記録(8時間17分)から写真撮影時間を10分ほど引いたものが本当の記録です(笑)。それからはゴールに向かって再び歩きはじめ、電光掲示板は8時間30分でした。
小中学校のマラソン大会では常に最後尾を陣取り、練習ぎらいな私ですが、炎天下での山歩きをこなし、日々の筋トレを積み、そして何より的確にアドバイスをしていただいたみなさんのおかげで無事にゴールをきることができました。しかし今回の残念な結果を真摯に受け止め、練習をしてリベンジしたいと思います。その日はいつなのか・・・。