2020年1月から中山道69次を京都から東京へ552.2キロ「走って中山道」を始めました。今回1年7ヶ月ぶりに第5弾、令和4年5月3日(火)と4日(水)に岐阜県51番目の太田宿から45番目中津川宿まで59キロ走りました。
本来なら、スペインのサンチアゴ巡礼で、スペイン北部の巡礼路を歩いている頃ですが、コロナとウクライナの影響で、今年も中止となりました。まだコロナウイルスの感染者数は下がりきってはいませんが、まんえん防止などの警報はでておらず、田舎の道で密になることもないので、再開することにしました。前回の中山道は岐阜県の美濃太田駅までで、今回はそこからスタート。久し振りなのとこれまであまり長距離を走っていないため、5月3日と4日の2日間として、5月の週末はずっと予定が入っており、5日は休養にあてることにしました。
令和4年5月2日(月)
連休のなか日で、サンチアゴ巡礼の予定もあり、予約数は少なく、午後の外来を午後5時で終了しました。なるべくスタート地点に近づく為、名古屋まで行くことにしました。午後5時47分JR柳井駅から徳山まで行き、そこからのぞみで名古屋まで行くことにしました。翌日名古屋駅から、美濃太田駅まで行き、スタートします。そのため、駅に近いホテルを予約しました。
午後9時21分名古屋駅に到着。明日の朝食と途中の行動食をコンビニで購入して、午後10時前にホテルにチェックインしました。荷物を背負って走るので、なるべく軽くなるように、3日に泊まるホテルにコインランドリーがあり、洗濯して衣類も少なくしました。天気は良さそうですが、念のため雨具(ポンチョ、200g)は持ってきました。午後11時には就寝。
5月3日(火)
午前4時半起床、準備をして、朝食を食べて、午前5時半過ぎにホテルをチェックアウト。午前6時10分発で、東海道線で岐阜まで、高山線に乗り換えて予定通りに午前7時30分に美濃太田駅に到着。今日はここから午前7時40分にスタート、中山道まで南に下って、木曽川沿いの道をゆっくり走り始めました。
今日の予定は
今回の行程の多くは山の中を通り、宿泊施設が限られ、第1日目の予定は24キロ先の「細久手(ほそくて)宿」にある唯一の旅館「大黒屋」まででしたが、予約でいっぱいでした。その次はさらに20キロ先の「恵那(えな)宿」にしか宿泊施設がなく、そこのホテルは空いており予約しました。そのため43キロ行かねばならず、午前中に「細久手宿」、午後6時までに「恵那宿」着くのが目標でした。
途中の「御嵩(みたけ)宿」の街の案内板に、外交官で第2次世界大戦の時にユダヤ人に対して、ビザを発給した「杉原 千畝」の出身地であることがわかり、意外な発見でした。最初の14キロ過ぎまで舗装された道路で3時間20分。まずまずのペースでした。「和泉式部廟廊」を過ぎたあたりから上り坂が始まり、土や砂利道となり、山の中のアップダウンのきついコースとなり、ペースが一気に落ちました。
坂が多くあり、中におもしろい名前が付いていて「牛の鼻欠け坂」は牛の鼻が地面にすれて欠けてしまう程の急な坂という意味。
「謡坂(うとうざか)石畳」は余りの急坂で苦しさを紛らわす為歌いながら坂を上ったところから「うたうさか」と呼ばれ、「うとうざか」に転化したなどと説明の看板がありました。石畳で、石の標柱も同じ形で萩往還を通っているような錯覚がありました。
坂を上りきったところ「十本木茶屋跡」の所にそこに住んでいる方が家の前に「いろは茶屋」を開き、コーヒーとジュースのみの営業をされていました。前を通り過ぎる時に2人が東屋で休憩しており、店の方から休んでいきませんかと誘われ、ちょうど昼時で一休みすることにしました。食べる物はありますかと聞くと、「ない」ということでコーヒーを注文しました。こんな山の中のポツンと一軒家のようなところで、暖かいコーヒーが飲めるのはありがたいことでした。ちょっとしたお菓子の小袋も付いていました。サービスということでカップヌードル「きつねうどん」とお湯をいただき、一緒に食べることもできました。
結局、中間地点の「大黒屋」に午後2時到着。予定より2時間遅れとなりました。24キロ、6時間20分かかりました。残り20キロあります。時速4キロで5時間かかります。まだまだ木立の中の道が続きヘッドライトは持ってきておらず、暗くなる前に山道は抜けたいところです。自動販売機もなく、手持ちの水も少なくなってきました。
中山道の地図とスマホに中山道のコースのアプリを入れて、現在地もわかるようにしています。曲がり角やコースが分からなくなった時には確認するようにしていました。途中の「大湫(おおくて)宿」の通りを過ぎて曲がる方向を間違えていたら、後ろから声をかけられて、「そっちではありませんよ、あっちの坂ですよ」教えてもらい、助かりました。
日頃長い距離を走っておらず、足の疲れも出てきて、ペースが落ちてきました。アップダウンも強く、砂利道だったりで、速度も上がらず、午後6時も過ぎてきました。木立の上の空はまだ明るいですが、徐々に暗くなってきます。午後6時半過ぎに、山道から出て一般道になり、午後7時ホテルに到着しました。あたりは真っ暗になっていました。スマホのバッテリーの残量も少なくなり、2日分を1日で走ったようなものでした。そうはいっても、鉄道やましてやタクシーも無い状況なので、どうしよもありませんでした。その分明日は短めのコースにしました。トレイルランにはいいコースで3グループくらいとすれちがいました。
大浴場に入浴して、筋肉のストレッチとマッサージをして、洗濯と乾燥。午後9時からフロントでおすすめの食事場所を聞いて、近くに居酒屋で夕食をし、荷物の整理や記事も書かず、午後10時には就寝。久しぶりの長距離で疲れました。今日は45キロ、11時間でした。
5月4日(水)
今日の目的地は帰りの交通の便(もよりのJRの駅がある)と次回のスタートに都合が良いように、14キロ先の中津川宿としました。近いので気分的は楽で、朝もゆっくりできそうです。
目覚ましもかけず、午前6時前に起床、まだ太腿の張りがあり、朝風呂に入って、ストレッチとマッサージ。部屋に帰って荷物の整理、午前7時からブッフェ形式でゆっくりと朝食ができました。食べながら、ホテルにあった恵那市の観光案内のパンフレットを見ていると、NHKの2018年の連続テレビ小説「半分、青い」の舞台となったり、昨年の大河ドラマの「麒麟がくる」の主人公明智光秀の出身地であること、明智という地名がある。ということがわかりました。部屋に帰って昨日の記事を少し書いて、出発の準備。午前9時にホテルをチェックアウト、着いた時はよくわかりませんでしたが、大きな街で、ウオームアップと市内観光を兼ねて、ゆっくりと歩きました。中山道安藤広重美術館があり、午前9時半からオープンで見てみたい気もしました。
2キロほど歩いて、市街地を抜けたところでゆっくりと走り始めました。山の名前は分かりませんが、遠くに雪山も眺めることができ、近くには日本百名山の一つ、恵那山が行程の間眺めることができました。
中津川市の町中に入った住宅街のある家の雨戸に面白い「3密を大切に」「3Kを大切に」の看板があり、一旦通り過ぎましたが、戻って写真を撮りました。午後0時40分、本日の目的地、中津川駅に到着しました。午後1時6分発中央本線、特急しなの10号で名古屋まで行き、新幹線に乗り換え、柳井に午後5時40分到着しました。
今日は14キロ、3時間20分でした。
天候も良く、寒くもなく、足は疲れましたが、心地よい運動日和を久しぶりに楽しむことができました。2日間で、59キロの中山道の行程でした。次回は未定ですが、また報告します。