ウェルネスクリニック

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内科・生活習慣病(糖尿病・高脂血症・高血圧)・甲状腺を診療する柳井市の病院です。

トウニョ
〒742-0021 山口県柳井市柳井1547-1
2011.05.04

四国八十八ヶ所走って遍路;第21弾(第65札所〜第69番札所)

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「走って遍路」第21弾を平成23年5月3日(火)にJR伊予三島駅をスタートし、64番札所三角寺から69番札所観音寺まで行きました。今回は遍路以外に、以前放送された「鶴瓶の家族に乾杯」で川平慈英といっしょに観音寺を訪れた番組があり、そこで取り上げられた所にも行ってみること、5月4日(水)は自分の本籍が市町村合併で現在の観音寺市にあり、小さい頃に曾祖母の葬儀で訪れて以来50年間行ったことはなく、半世紀ぶりにその場所へ行ってみること、墓参りをすること、親戚の方に会うことでした。

5月2日(月)は通常通り午後6時まで診療し、順調に終了、午後6時25分柳井駅発の電車に乗り、岡山経由でJR観音寺駅に午後9時50分に到着しました。駅前のホテルに宿泊(ここも鶴瓶の番組で取り上げられた)。今回は同じホテルに2泊するので、遍路に必要のない荷物を置いておけ、走る時のバックパックを軽くすることが出来ました。3日の天気予報は午後から小雨とあり、雨具も持ってきました。

5月3日(火)午前5時起床、昨晩コンビニで買っておいた食事で朝食をとり、午後から雨の予報なので少しでも早くスタートできるように、電車の中でストレッチをして、松山方面に4駅もどったJR伊予三島駅に午前6時16分到着。今日の予定は5.7キロ先の標高500mの65番札所三角寺、19キロ先の八十八カ所で一番標高の高い900mにある66番札所雲辺寺、その後下って、67番大興寺、同じ敷地内にある68番神恵院、69番観音寺、ホテルまで戻る45キロの行程でした。さらに観音寺の後は琴弾公園にある砂で出来た寛永通貨を展望台からみて(「鶴瓶の家族に乾杯」でスタート地点になった所)、近くにあるうどん屋(これも鶴瓶の番組で川平さんと一緒に入って食べた店)でうどんを夕食に食べること盛りだくさんの予定でした。どんよりとした曇りで、湿気を帯びた空気、走るには晴れているよりはいい天候で、雨が降り出す前に雲辺寺に到着を目標に午前6時20分スタートしました。

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町中から山の方向に向かって走っていき、山道に入っていきました。思ったより順調に進み、午前7時半に65番札所三角寺に到着しました。これなら次の標高900mの雲辺寺も予定より早めに着くかもしれないと思いました。本堂、大師堂には東日本大震災で被災した方々へのお祈りの札が掲げられていました。礼拝をして、本日の遍路のメインの雲辺寺へ向けてスタート、最初の6キロは標高100mまで下りが続き、順調なペース、そこから上りが始まり、車道の上りで路面は平らなので、一定のペースですすめ、何人かの歩き遍路の人をあいさつして抜いていき、去年の5月の連休は太平洋を左手に見ながら室戸岬のあたりだったこと、山道の上りでは例年なら萩往還マラニックで山口萩の往復をしていることなどで思い出しました。残り5キロは山道の上りが始まり、階段であったり、土の道であったり、岩があったりとこちらが斜面にあわせて、足を運んでいかなければならず、上りが続き足と心肺機能に負荷がかかりしんどくなってきました。やはり八十八カ所で一番の標高があるだけ、ペースが落ちて来て着くのは正午前になりそうでした。残り500mくらいの所で途中の上りの車道で抜いて少し話しをした歩き遍路の方が追いついて来て、お寺まで一緒に歩いて向かいました。横浜から来て、4月から歩き遍路を始めて、仕事は登山の案内をしているとのこと、普通のアスファルトの道は苦手だが、登山道はペースがとりやすいとのこと、途中はほとんど野宿をしていることなどの話しを聞きながらすすんで行きました。結局午前11時55分に到着しました。礼拝をして、朝食べなかったオムスビを食べて休憩しました。これからは下りの続く道で、足や膝に負担がかかり、疲れも加わり、坂も急だったりして、思ったほどのペースは上がりませんでした。午後2時50分に9.7キロ先の67番札所の大興寺に到着。雨も少しずつ降り始め、雨具をするほどではないのでそのまま午後3時10分スタート。次の札所は8.7キロ先にあり、同じ敷地内に隣どうしで68番札所神恵院と69番札所観音寺があり、納経所は一カ所、礼拝に30分はかかりそうで、時間的に厳しくなってきました。またお寺の上にある展望台から銭形砂絵も見る予定なので、どれを優先するか、どれを明日にまわすかを考えながら、夕食にうどん屋で何を食べようか、ザルにするか釜揚げにするか、おでんも食べようか、いなり寿司もあったら食べようかと迷いながら、残りの時間と距離をみながらの走りとなりました。

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札所の手前にある琴弾神社に午後4時半に到着、これから礼拝をして納経所まで済ませるのは時間的に無理があり、まずは高台にある展望台から寛永通貨の砂絵を見ることにしました。テレビで「鶴瓶の家族に乾杯」で鶴塀と川平が出会うところはごつごつした岩の上から見ていたように思いましたが、意外に小さな岩でした。夕方で雨もふっており、陰がはっきりしないので、凹凸があまり良くわかりませんでした。それからお寺に向かって下りテレビで「ここで松ぼっくりを眺めていて、市の調査員のおでこの蚊をたたくシーンがあった場所」だと思いながら、降りていきました。ちょうど午後5時に到着、納経所は明日にし礼拝をしました。今日最後のテーマ鶴瓶の行ったうどん屋「かじま」にいってうどんを食べること。歩いて10分もすると店を見つけましたが、本日休業の看板が出ていました。店の中は電気が付いており、窓越しに聞くと午後7時までだが、もうすべて売り切れたので終了にしたとのこと。明日は午前11時からオープンすることを聞き、また明日納経所に行った後に食べることにしました。雨も強くなり、雨具を来てホテルへ向かいました。午後6時にホテルに到着。シャワーを浴びて、洗濯をして、近く歩いていけるおすすめのうどん屋はあるか聞いた所歩いていける所にはないとのこと、ホテルで夕食をすることにしました。運動の後はやはりタンパク質を取るため、ステーキ定食にしました。明日はレンタカーを借りて、お墓、本籍、親戚の方を訪ねることにして、疲れて午後9時半に就寝しました。今日は45.0キロ、63215歩でした。

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5月4日(水)午前6時まで熟睡、午前7時からホテルで朝食。午前8時半過ぎに歩いてレンタカーの会社まで行くと、今日はすべて予約でつまってないとのこと、朝から予定が崩れ、どうするか考えながら帰っているとホテルの横に観光案内所があり、そこでレンタサイクルがあり、一日100円と格安、歩いたり走って遍路を考えれば楽なことで5キロくらいの距離はたいしたことはなく、逆にゆっくり周りの景色を見ながらすすめるので良かったと思いました。大平元首相の出身地で、記念館や銅像、記念道路などがありました。今回目的としている墓参りの場所に大平元首相のお墓もありました。あらかじめ地図で場所は確認していたので、ホテルでペットボトルに水を1L入れ、地図に墓所の入り口に「華花」という店があり、お墓用の花を売っているのだろうと解釈し、入り口で買っていくことにしました。着いてみると「華花」という店はありましたが、カラオケハウスでした。まずは墓所の中でお墓の場所をあらかじめ聞いていたので、すぐにわかりました。それからさっき来た道を戻り花屋を捜し、通りがかったおばあさんに聞いて花も買うことができました。墓所には水道ややかん、バケツもあり、わざわざ水をもってくる必要はありませんでした。

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次は本籍のあった場所にいってみること。最近では運転免許証にも本籍地を載せることがなくなり、よっぽど何か重要なことで戸籍謄本を取り寄せるときぐらいしか本籍のことに関わることはありませんでした。曾祖母の葬儀で訪れて50年ぶり、当時のことはかすかにいくつかの場面が写真のように記憶に残っており、現在は更地で駐車場に変わっていました。近くを歩いて見て回りました。大西甘味堂という店がありそこに自家製の「梅ヶ枝餅」があり、太宰府にある餡の入った餅ではなく、ニッケの味のする生八つ橋を赤、緑、白を層にしたような餅で、小さな過頃に食べたようなことのある、懐かしい味でした。

本日のメインの最後になる父親のいとこにあたる方を訪問すること。小さい頃、実家に大学に通うため一時下宿されていたことがあり、電気炊飯器が部屋にあったことがなぜか記憶に残っていました。午前11時頃に伺う予定でしたが、お墓で思ったより時間がかかり、12時前と昼食時になってしまいました。また3連休の中日でいろんな予定も入ってあらかじめ連絡すると中止されたり準備をされたりと迷惑もかかると思いアポなしの訪問となりました。不在であればメッセージだけ残し、次回も観音寺からスタートするので、その時には事前に連絡をしてと思いながら、訪問としました。在宅でやはり昼ご飯中でした。手短に挨拶とお話をして失礼する予定でしたが、うどんとお寿司をいただき、近くのお寺で太鼓の披露、近隣を一緒に散歩し話ながら案内していただきました。記念写真をして失礼しました。

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あとは昨日時間がなくできなかった納経所に行くこと、鶴瓶の行ったうどん屋に行くこと。納経所の後、午後3時前にうどん屋に行くと店の外で人が待って入り口の戸からのぞいて「思ったより狭いね」と話をしたりしており、鶴瓶効果かと思いながら待ちました。順番になり席に着き、メニューの一番上にある釜揚げの大にしました。「3玉入ってますよ」と言われ、12時に食べたばかりですが、それを注文しました。茹でた麺、ネギと生姜の薬味、イリコだしと醤油のだし汁がでてきました。やはり3玉は多いですが、今年1月に泊まった内子の徳岡旅館で自家製のうどんがたらいに入って出てきたのを思い出しました。脂っこくなくあっさりしているので完食し、500円と安い値段でした。

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その後は自転車を返し、午後4時の電車に乗り、岡山経由で柳井に午後8時前に戻ってきました。早い夕食としてうどんを食べたので、その後は夕食はとりませんでした。今回の「走って遍路」と「ルーツを巡る旅」は終わりました。