ウェルネスクリニック

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内科・生活習慣病(糖尿病・高脂血症・高血圧)・甲状腺を診療する柳井市の病院です。

トウニョ
〒742-0021 山口県柳井市柳井1547-1
2011.09.18

四国八十八ヶ所走って遍路;第26弾(高野山)

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「四国八十八ヶ所走って遍路」第26弾として平成23年9月18日(日)に高野山に行きました。当初の計画は和歌山県田辺市から熊野古道を通って高野山に行く予定でしたが、9月初めの台風12号の影響でニュースで報道されているように大きな被害を紀伊半島に及ぼし、熊野古道が通れなくなってしまい、復旧してから行くことにしました。

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当初は9月と10月の2回の連休を利用して、田辺市から熊野古道の中辺路(なかへち)63キロを通って熊野大社本宮まで、熊野大社から小辺路(こへち)67キロを通って高野山に向う予定でした。後半は1000m以上の山を3つ越えるため、2回では無理かもしれないと思ってました。台風12号の影響で熊野古道も大きな被害を受けているようで、9月14日(水)まで熊野古道の復旧状況をみていました。バスも運休したままで、田辺市と熊野古道の途中の宿を予約していましたが、週末までに回復は困難なようなのでキャンセルしました。

いつ復旧されるかわからないので、今回は大阪から高野山まで、南海電鉄の高野山線の電車でいくことにしました。9月17日(土)は大阪に一泊し、翌日18日(日)に朝早く出発し、日帰りで高野山まで行って戻ってくることにしました。南海電鉄のなんば駅に歩いていける所にホテルを予約しました。

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土曜日は午前中診療をして、午後大阪に向い、なんば駅からホテルまでの道順の確認と、南海電車の運行状況をなんば駅で聞いてホテルにチェックインしました。南海電鉄も一ヶ所(一駅区間)、台風の影響でバスの代行運転となっていました。ホテルは道頓堀の近くで、夕食はお好み焼き「千房」にしました。4フロアーあるビルですが、列になって並び、待っている前後の人の会話は中国語であったり、韓国語であったりと国際色豊かでした。道頓堀やアーケードも人も多く活気があり、地方のシャッター通りとは断然違い、高齢化率50%近くの田舎と違い、都会の活力を感じました。

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9月18日(日)は午前6時45分なんば駅から南海電鉄の急行に乗り、途中バス代行で橋本駅と紀伊清水駅間を行き、さらに各駅停車の電車に乗り換え、段々と山の中に入っていきました。人が住んでいるかどうかわからないような駅もあり、こんな所まで、私鉄の電車が走っており、採算がなりたつのかと不思議に思いました。極楽橋駅まで行き、そこからはさらにケイブルカーに乗って、午前8時40分に高野山駅に到着しました。

そこからバスに乗りお寺のある中心街に移動しました。幼稚園から大学まであり、人口も4000人、山の上に一つの町が出来ていました。山門、真言宗の総本山の金剛峰寺、弘法大師の廟廊のある奥の院を歩いて回りました。平成27年が「高野山開創1200年」ということで「こうやくん」というユルキャラの看板がいたるところにありました。

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奥の院の入り口から参道が2キロあり、その両側には歴史上の戦国大名などの墓がありました。武田信玄、上杉謙信、石田三成、明智光秀、織田信長、豊臣家、徳川家など敵味方が入り乱れていました。どこかの国の首相のように、亡くなったら「もうノーサイドにしましょう」といって仲良くやっているのか、ついつい現世の勢力や敵味方の関係が残り言い争っているのか、想像しながら歩いて奥の院までいき、礼拝をして、納経帳に最後の朱印をもらいました。「高野まき」と書かれた看板のでた屋台や店が多くあり、松の様な木が売られており、何に使うのだろうかと思っていましたが、参道を通ってみて、お墓に供えるためだとわかりました。

礼拝の後は昼食をして、おみやげはやはり「高野豆腐」を買い、午後7時に柳井に戻ってきました。熊野古道は世界遺産に認定され、本を見て調べていくと魅力的な、タフなコースなので、古道が復旧してからまた挑戦し、報告します。