5月4日に開催された第25回山口100萩往還マラニック大会の70キロに参加しました。マラニックとはマラソンとピクニックを掛け合わせた言葉で、順位やタイムを争うのではなく、非常食等必要なものをバッグに背負い地図片手に景色を眺め、出会った人と交流しながらコースを巡るものです。2009年以来、四国の遍路や熊野古道を走ったりしていたので、4年ぶりの参加となりました。
これまで、5月の連休は四国の遍路や熊野古道を走ったりで、4年ぶりの萩往還となりました。前回は2009年に関西のTeam Diabetes
Japan(TDJ)の池田病院の井田先生(35キロ、マラニック)と栄養士として病院に勤務している1型糖尿病の福田さん(35キロ、ウオーク)といっしょに参加しました。その後種目が変更となり、35キロのマラニックが無くなり、70キロ(制限時間12時間で山口と萩往復)にするか、まだ参加したことのない140キロ(制限時間24時間で山口〜防府〜山口〜萩〜山口)に申し込もうかとおもいましたが、250キロと140キロはすでに参加がいっぱいになって閉め切られており、70キロにしました。3回目の70キロとなりました。
5月3日(金)は午前中に柳井を車で出発し、瑠璃光寺の5重の塔のある香山公園で受付をし、ゼッケンや参加賞をもらい、近くの山口県立美術館で柳井の近くにある祝島の絵などを描いている「松田正平展」を見に行きました。出場者名簿をみると知っている人が何人か載っており、同じ70キロには医局の先輩で、秋吉台のマラソン大会でも一緒だった中山先生も参加予定になっていました。250キロが470名、140キロが499名、70キロが611名、35キロウオークが705名参加となっていました。ウオークは午前6時、35キロマラニックがあった時は、70キロは午前6時30分スタートでしたが、午前6時となっていました。
5月4日(土)が午前4時起床、朝食をとり、支度をして、午前5時過ぎにホテルを出て、午前5時15分には県庁の駐車場に到着。すでに多くの人たちがぞろぞろとスタート地点に向かっていました。スタート地点で中山先生を見つけ挨拶をして、スタートの垂れ幕の前で記念写真を撮り、今回初めて70キロに参加するなどの近況の話をしていると若い女性が話しかけてきて、最初誰かわかりませんでしたが、話をしていくうちに「福岡の小児1型糖尿病のサマーキャンプ(ヤングホークス)にヘルパーで参加し、2006年のホノルルマラソンにもTDJとして参加したことがある(一菜さん)」ことがわかり、自分がTDJのTシャツと帽子をかぶっていたので、わかったのだと知りました。同じ70キロに参加し、今回で3回目の参加でした。一緒に写真を撮り、スタート地点に並びました。
コースは一部変更になっており、折り返し点はこれまで「萩城跡」でしたが、松陰神社の上にある「陶芸の村公園」に変更になっていまし
た。往きは最初の6.4キロは標高545m(萩往還最高地点、板堂峠)までは上りが続き、その後に長い下り坂、佐々並エイド、また次の上りが続き、釿ノ切峠
(405m)を越えて、また長い下り坂、明木エイド、そのあとに峠(200m弱)を越えて、下り萩市内へ入って折り返し点、復路はその逆。本来同じコースな
ので、エネルギー消費上は一緒なのかもしれませんが、行きは最初上りがきつくしんどいですが、そこを越えると後は下り主体で、峠のピークは徐々に低くなり、まだ
元気があり気分的に楽ですが、帰りは疲れも加わり、さらに上りのピークが段々と高くなっていくので、精神的にも肉体的にもしんどさが増してきます。
午前6時最初のグループがスタート。その後午前6時9分に中山先生もいっしょに自分たちのグループがスタート。特にいっしょに走っている訳ではありませんが、途中トイレに行ったり、写真を撮ったり、エイドステーションで一緒になりました。最初のエイドは施設のエイドでコース途中に農機具小屋でおばあさんがお茶や自家製草餅の接待をしてくれます。行きは一番高いピークを越え、下り坂で少し疲れを回復させ、一息入れる感じですが、帰りは最後の上りでパワーを回復させてくれます。まだ草餅は出来ていませんでした。佐々並エイドに着いて、名物の佐々並豆腐をたべ、一息つき、次の明木エイドを目指して出発、前回の時を思い出しながらのぼっていきました。250キロや140キロのランナーが戻ってくるのとすれ違いながら、声援をしたり逆にその姿にこちらがパワーをもらい、いつか自分が逆の対場になることがあるのか、想像しながら進んでいきました。明木エイドに到着、ここも名物のおまんじゅうを食べ、糖分補給。中山先生もエイドに到着、話を交わして、出発。最後の上り坂を越えて、萩市内を眼下に見ながら下り、市内でスタート地点であった福岡の「一菜さん」が折り返して戻ってくるとのとハイッタチをしてすれ違い、最後折り返し点まで1.5キロ上って午前11時に到着しました。行きが5時間弱、まずまずのペースでした。
昼食の弁当を食べ終わり、あずけておいたストックを取り出し、帰り用の荷物を預けた頃に中山先生が到着、話をして写真を撮り、復路をスタートしました。午後1時前に明木エイドに到着、ウオークに人たちが昼食用の弁当を食べていましたが、饅頭はもうありませんでした。これからまた上り坂が続き、ほとんど歩きで少し緩やかな上りや下りがあればゆっくりと走り、明木のエイドを過ぎるとすれ違うウオークの人もいなくなり、あとは帰りの70キロの参加者と少数の250キロや140キロが、上りの多い帰り道を ぽつぽつと抜いたり抜かれたりしながら、佐々並エイド(関門の午後4時)を午後3時前に何とか到着しました。あたたかいコーヒーをいただき一息つきました。帰りのエイドにはアメ程度しか無く、帰り用の栄養補給を用意しておく必要を感じました。とは言っても重さもあり、バナナかジェルくらいかを行った所です。スタートして9時間経過、残り3時間で14.3キロ、この先さらに上りが続き、ぎりぎりの時間となり、とにかく立ち止まらず前に足を進めていきました。
最後の上りの途中で私設のエイドが農機具小屋であり、そこでお茶と(自家製のアンの入った草餅は無くなっていて)饅頭をいただきで、最後の上りの頂上をめざし、なんとか午後5時46分(ネットで11間37分)ゴールすることができました。
久しぶりの70キロを走り、上りは足の筋肉への負担、下りは膝への負担を改めて感じ 、140キロはこの倍の距離を24時間で走るのかと思うともっと長距離の練習が必要で、今回は140キロにしなくて良かったと思いました。足の痛みと疲れのなか車を運転して、午後8時何とか家までたどり着きました。