平成26年3月より月2回程度の「まかない」を始めました。NHKの「サラメシ」という番組を真似て、「クリメシ」と名付けました。令和2年9月17日(木)のまかないは「洋風ちらし寿司」で、11名が参加しました。3分間スピーチは田坂看護師。
今日は「ふたりの桃源郷」という本の紹介をします。電気も水道も通っていない山奥で暮らす夫婦の姿を山口放送が長年にわたって追い続け、約30年にわたる取材をもとにした書籍版です。テレビでもニュースや情報番組の中で特集され、節目節目にはドキュメンタリー番組も制作されました。時には全国に向けて放送されました。放送のたびに大きな反響を呼び、平成28年には映画化もされました。私は映画を見損ねてしまい残念に思っていたのですが、この本が出版されたので購入しました。
田中寅夫さん(大正3年生まれ)、フサコさん(大正9年生まれ)が「ふたりの桃源郷」の主人公です。取材班は親しみを込めて「寅夫じいちゃん」「フサコばあちゃん」と呼びました。不便な山奥で地に足をつけて生きた田中夫妻の姿と、悩みながらも支え続ける家族の様子が描かれています。
昭和13年にふたりは結婚、新婚生活は当時じいちゃんが働いていた大阪で始まります。戦時中はじいちゃんも召集を受け戦地に赴くも無事に帰ってくることができました。住んでいた大阪は焼け野原で家族は広島の親戚の家に身を寄せます。そんな中じいちゃんは土地を買う事を決意します。それが「桃源郷」となる土地。ばあちゃんの故郷に近い山の奥です。山の値段は10万円(現在の貨幣価値で400万円位)で、有り金を全てつぎ込んだとの事です。夫婦ふたりで山を開拓して三人の娘を育て、じいちゃんの親兄弟も呼び寄せ、多い時で14人の大所帯で生活しました。
昭和36年、高度成長期に沸く大阪に一家は出ます。当時はそのような選択をする農家が多かったようです。そして両親を看取り娘達も独立し、じいちゃんは決意します。「残りの人生は夫婦であの山で送ろう」。65歳の時でした。2度目の山暮らしは23年間続きました。じいちゃん87歳、ばあちゃん82歳。娘達に反対されながらも続けてきましたが、じいちゃんの持病の喘息は年々ひどくなり、前立腺に癌も見つかり、体力にも自信が持てなくなってきました。悩んだ末に山を下りる決断をします。ふたりは麓の町の老人ホームに入りました。何不自由のない生活ですが二人には性に合いません。暫くすると夫婦ふたりで山に通うようになります。単なる思いつきではなく、老人ホームのスタッフを説得し、かかりつけの医師にも相談し、外出の許可を得てから行動を始めたのです。山に戻ったふたりは別人のように血色も良く目に力が宿っていました。こうして毎朝老人ホームを出て、昼間だけ山で過ごす生活が続きました。そのうちに大阪・奈良に住む三姉妹が月1回里帰りして、両親の山通いをサポートするようになります。1年半が過ぎた頃、三女夫婦は山口に転居して両親の生活を支える決意をするのでした。そして平成19年6月2日田中寅夫さん死去(享年93)、平成25年1月15日田中フサコさん死去(享年93)。
エピローグにはこう書かれてありました。「桃源郷」とは、あの場所を指すのではなく、自分の心の中にあるということ。真っ直ぐに生きたいと思うけれどそれが出来ない自分自身のこと。
私がこのお話に興味を持ったのは、舞台である「桃源郷」が岩国市美和町である事と、私自身に自給自足生活への憧れがあるからです。さすがに電気も水道も通っていない生活は到底無理ですが、折角田舎暮らしで土地はあるので、老後は家庭菜園をして、家族で食べる分くらいは買わずにすんだらいいなあと考えています。昨年からプランター栽培を少しばかり始めて、今年は庭に小さな畑を作り、栽培する野菜の種類も増えました。家のそばには立派な畑もありますが、まだまだ畑作りまでは手が伸ばせません。最近はコロナ禍での「自粛」で「ステイホーム」しているので、休みに度に作業をしています。野菜作りもなかなか上達はしませんが、小さくても実がなれば嬉しいものです。目指せ、自給自足生活。
コロナウイルスが落ち着いたら「桃源郷」の地を訪れてみたいです。