12月13日(日)に開催された2009ホノルルマラソンにクリニックから6名が参加しました。1名が10キロのウオーク、5名がマラソンに参加しました。今回は日本糖尿病協会のTeam Diabetes Japan(TDJ)としての公式な参加は新型インフルエンザの影響でありませんでしたが、20数名がTDJのTシャツを着て全国から参加していました。
12月12日(土)は午前中診療をし、午後2時クリニックに集合、午後9時に関西国際空港からJALの飛行機に搭乗し出発しました。経営危機が取り上げられているJALはどんなサービスと思い、エコノミーはキャビンアテンダント(いわゆるスチュワーデス)は東南アジア系の女性、到着前の朝食は小さいアンパンとミルクパンが袋に入れられて配られ、これがコスト削減の影響かと勝手に想像しながら見ていました。この時期だけは1万人以上の日本人が日本からホノルルへ向かうビジネスチャンスなので、JALがホノルルマラソンのスポンサーだけは続けて欲しいと願うばかりです。
ホノルルには12日の午前9時半に到着、今回はインフルエンザの影響で公式なTDJの懇親会はないため、空港でレンタカーを借りて、空港の近くにあり昨年は閉まっていた「この木なんの木」のあるモアナルア公園に行ってみました。日本では日立の宣伝で有名なせいか日本人のグループも見に来ていました。木の中は幹が何本にも別れて、外から見た木の形になっているのがわかりました。今度からテレビの宣伝を見るたびにハワイを思い出しそうです。その後はホテルにチェックインし、コンベンションセンターにゼッケンを取りに行き、夕食をとって、午前3時半ホテルのロビーに集合することで解散となりました。
ここ2年はスタート前後に雨が降り、靴や使い捨ての膝のサポーターが濡れて取れたりしていましたが、今年は天候もいいようで、逆に暑さが心配になるくらいでした。福岡から南先生のグループも同じホテルに泊まられていたので、午前3時半にはホテルのロビーにTDJのTシャツをきた、メンバーが集まってきました。関西TDJの井田先生の奥さんもミニーの衣装で来られました。各々写真を撮ったり集合写真をとり、挨拶を交わしてスタート地点に向かいました。準備体操をし、記念写真を撮ったりして、スタートを待ちました。午前5時に花火の合図でスタートしました。
今年は特にタイムの目標もなく、自分の楽なペースでマラソンを楽しみながら走ることにしました。ブレーキとアクセルを繰り返しながら人の間をかき分けて走らず、スタート時の人の波の流れに従って走りだしました。最初の1キロのタイムが8分、1マイルが12分30秒とゆっくりとしたペースで進んでいきました。昨年、一昨年の雨の中のスタートと違い、気温も高いのか、汗のかき具合が多いことを感じながら、アロハタワー、市役所前のイルミネーションの前を走り、まだまだ多い人の波の中少しずつ隙間も出来て来て、1マイル11分(1キロ7分程度)に少しペースがあがり、このペースを続けて行くことにしました。アラモラナ公園に戻って来た辺りで、井田先生の奥さんに、ワイキキのメインの通り(カラカウア通り)に入り松藤夫妻に追いつき、あいさつをして写真を撮っていきました。10キロ地点のカピロラニ公園に1時間11分とまずまずペースで通過すると、TDJのブルーのTシャツの背中をみつけ、追いつくと南先生が一人で走っており、「今回はいつもいっしょのTさんは来られていないんですね。このペースで続けられたらいいですね。」南先生は「2日前にカピオラニ公園の周囲を回る駅伝大会にでた。」ことなどを話しながら、ダイヤモンドヘッドの上り坂の前までいっしょに走りました。上り坂になると道幅も狭くなり、また人が込み合い、対向車線は車いすレースの参加者が速いスピードを下っていくのとすれ違っていきます。空は明るくなり始め海の向こうの水平線は紅くなってすばらしい景色となっていました。
トイレに行きたい感じはあまり強くありませんでしたが、行きたくなってからトイレを捜したり、長い列に並ぶのも大変と思い、ダイヤモンドヘッドの坂を下った所の公園でトイレに行きました。マラソンの途中でトイレに行くのは、時間のロスとせっかく走っている足と心肺機能を立ち止まった状態に落としてしまい、できればさけたいところですが、トイレをすると気持ち1キロくらい体が軽くなったような心身ともにリフレッシュした感じになるのも事実です。
11マイル(17.6キロ)からのハワイカイをまわって往復18キロの高速道路が始まります。行きは最初が長い下り坂で、まだ体力も残っていますが、帰りは30キロも過ぎて足も疲れ、単調なコースで、後半は長く続く上り坂になり、最後のダイヤモンドヘッドの上りにつづく、心身ともに2番目の難所となっています。唯一の救いは、すれ違うTDJのメンバーと声を掛けうことで、お互いに元気をもらってなんとか走りきれます。行きの高速道路は正面から朝日が射して来て、紫外線によりメガネのレンズが濃くなり紫外線を100%カットするメガネをしていましたが、それでもまぶしくらいでした。ハーフが2時間24分と、イーブンペースで通過、帰りの高速では 3時間半前後で当院からのメンバーとすれ違い写真を撮って、まずまずのペースで進んでいるのがわかりました。
高速道路を降りる地点が35キロでそこからは高級住宅街の中のコースで残り7キロ、沿道には多くの応援があり、最後の上りに入ってきました。早く走ってもゆっくり走っても結局30キロ、35キロ過ぎは足も疲れしんどくなってくるのは同じのようです。泉さんが一人ハーフ・マラソン(10キロウオーク+応援10キロ)で上り坂の途中まで出張応援、上りのきつい場面で気分転換になり、上りきって40キロ地点、下って最後の800mの直線コース、先にゴール地点が見えているものの、なかなか近づかないので、気持ち的には2キロくらい先にあるくらい。今回はTDJのメンバーも少ないため、田中さんのみの応援の前を通り過ぎ、今年も4時間46分で完走できました。
メンバーの最終ランナーとなった中本さんも7時間37分と、一昨年が11時間半、昨年が9時間半と1年で2時間ずつタイムを短縮、他のメンバーも昨年よりもタイムを短縮していました。JTBのテントで軽食をとり、シャトルバスで帰ることができました。
その日の晩は南先生のグループといっしょにワイキキにあるハレクラニのホテルのレストランでサンセットを眺めながらの打ち上げとなりました。今日のマラソンの感想や、石川さんがゴール手前10メーターで脱水症状で気分不良になり救護室で点滴を受け完走できなかったこと「はってでもゴールしろ」いう声が聞こえたことなどの話で盛り上がりました。
14日は午前中にレンタカーで、完走証をもらいにカピオラニ公園へいきました。これまでは大きなナイキのテントがあったのが、テントも小さくなり品数も少なく、カラカウア通りにあった3階建てのナイキタウンも無くなり、以前あった建物の前でテントを張ってのイベントや、コースマップが参加資料に入っていたのもなくなり、ここにも景気低迷の影響を感じました。その後、高級住宅街にあるカハラモールを見て回り、そこで食事をテイクアウトして、マラソンコースの途中にある海岸沿いの公園のピクニックテーブルで昼食をとることにしました。遠くにダイヤモンドヘッドと海を見ながら日本でもこんなにゆったり出来るといいなと話しながらの昼食となりました。その後はヌアウ・パリ展望台まで行きました。
夕方からはサンセットクルーズに行き夕日を見ながらの食事、ワイキキの夜景をみたりショウを見て、最後はいっしょに踊って終わりました。
16日はフリータイムで、各々ショッピングをするなど自由に過ごしました。夕食はアラモアナショッピングセンターに回転寿しがあり、入って食べてみました。日本にはないような皿も多くあり、やや味が濃いめでした。
17日は13:30発の飛行機のため、出発がゆっくりできるので、朝歩いてアラモアナ公園に日の出を見に行きました。87歳の男性が小鳥にえさをやっており、話を聞くと20年毎朝やっているとのこと、餌をもらい手を差し出しても隣の男性の所には多く小鳥が集まるのに、なかなかこちらには警戒して乗ってこず、一羽の鳥が先発で警戒しながら手のひらに乗ってきてからは多くの小鳥が集まって餌をついばんでいました。
今年は何もトラブルなく飛行機も出発、時間通りに進み、午後11時半に新岩国駅に戻ってきました。クリニックまで車で帰り、着いたときは12時を過ぎていました。小雪が舞ったり、寒い日本に帰って、温かい南の島から現実の世界に戻って来たのを実感しました。全員完走し、無事に帰ることができました。
参加者のタイムと一言感想
10キロウオーク
大久保;怪我(圧迫骨折)のあとで心配だったが、歩けて良かった。
フル
木村;4時間37分;お腹の調子が悪くきつかった。完走できて良かった。
嶋元;6時間19分;タイムが縮まり、20キロまでは止まらず走れて良かった。
大久保章子;7時間3分;暑かった。お腹がすいた。やっぱり42キロは長かった。
中本;7時間37分:高速の道のりが長く、9時間切れればいいと思っていたが、タイムが昨年より短縮してよかった。
大久保;4時間46分:今年もホノルルマラソンを楽しむことができてよかった。