平成26年3月より月2回程度昼の「まかない」を始めました。NHKの「サラメシ」という番組を真似て、「クリメシ」と名付けました。
令和2年4月9日(木)のまかないは「カロリー控えめ天ぷら」で、計13名が参加しました。3分間スピーチは今回は星川臨床検査技師。
天ぷらの野菜がうすくて食べやすかったです。からっと揚がっていました。えびがまるまっていたので少し食べづらかったです。酢の物のゆずがさわやかでよかったです。
長崎の軍艦島を訪れました。軍艦島は正式には「端島(はしま)」という名称の島です。端島は東西約160m、南北約480m、周囲約1200mの小さな海底炭鉱の島で、岸壁が島全体を囲い、高層鉄筋アパートが立ち並ぶその外観が軍艦に似ている事から「軍艦島」と呼ばれるようになりました。
長崎港から船で30分ほどの所で、そこだけが人工物の塊と化しており、荒廃が凄まじく、台風の影響で桟橋が破壊され、上陸は出来ませんでした。この小さな島に当時5300人もの人が住み、東京の人口密度の9倍であったことに驚かされます。又海底から石炭の採掘が行われていたことにも驚き、自分の小学校低学年時代の石炭ストーブの石炭はここから来ていたかもしれないと、妙に懐かしく感じました。島の暮らしは繁栄を極め、学校、医療施設、娯楽施設等、斎場と墓地以外のものは全て揃っており、小学校のプールが大理石であった事でも当時を想像することができます。そんな軍艦島も石炭エネルギーから石油への変換期を迎え、1974年1月に突然閉山発表後、4月には全員退去となり島は長い眠りにつくこととなりました。閉山は本当に一部の上層部にしか知らされておらず、カムフラージュの為、ずっと体育館建設が行われていたそうです。突然の退去命令に、寂寥か不安か怒りか、想像するに余りある思いを抱えこの海路を渡ったであろう当時の人々に思いをはせ、帰港しました。できれば今もどこかで、安寧に暮らしていらっしゃることを願わずにやみません。
「さだまさしクリスマスディナーショー編」に進みます。私自身初のディナーショー参加なので、何を着ていこうか先ず迷いました。ドレスコードは無かったものの、クリスマスディナーショー・さだまさしさん・日航ホテル等格式を考慮し、スーツに赤のブラウスを合わせクリスマス感を出し、ファーとアクセサリーでランクアップ、派手過ぎず、地味すぎずの線を狙いました。やはりお着物やドレスの方も多く、会場は終始華やかで和やかな雰囲気に包まれていました。
1テーブル10人で初対面の方々とも直ぐに打ち解け、色々楽しいお話を伺いながら、フルコースの食事の後、ステージが始まりました。さださんの歌はとても日本語が美しく、日本人に生まれてよかったな、と思います。又お話しも楽しく毎日新聞の川柳で「聴かせるのか 笑わせるのか さだまさし」が入選していたそうで、正にその通りです。私的には「泣かせるのか」を追加したいくらいです。途中さださんが、500人以上のお客様のテーブルを歌いながら回り、一人一人と握手し(当時はまだコロナウイルス感染はありませんでした)アイコンタクトをとりながら、音程もぶれることなく笑顔のお姿は流石でした。最高のお料理を頂きそのあと特別感溢れるステージを楽しめる。ディナーショーの人気の高さの理由がわかった気がしました。
今回は思いがけず、近代日本の光と影を体験した旅となりました。旅行好きな私としては今はただコロナウイルス感染の終息を願うばかりです。